「最良の君」という呪い 『キャプテン・マーベル』
ベスト・ヴァージョン・オブ・ユアセルフ。最良の君を見せてくれ。本作の中で、ある人物が象徴的に何度か繰り返す言葉である。
最良の君を見せてくれ。男性である自分は、こういった言葉を他の、特に年上の男性などからかけられたことがあるだろうか?せいぜい部活で根性論第一主義の顧問に言われたことがあるかな、程度の記憶しかない。ところが「キャプテン・マーベル」を観てみると、この言葉は男性より寧ろ女性の方が、様々な場面でかけられる機会が多い言葉なのではないか?そんなことを考えた。
まず他人が定義する「最低」や「最高」の判定ほど、あやふやな基準もない。抑圧を好む人間ほど、こうした「曖昧な定義」を用いて、既に相応なスキルを持ち合わせる人間に対し、「まだまだ君のベストなヴァージョンではない」と曖昧な評価を下すことで、自分を優位に置き、そしてその人間を支配下に置くこともできる。
「キャプテン・マーベル」は、持てるポテンシャルを存分に発揮できるのにもかかわらず、恣意的な抑圧により力を抑制され続ける一人の女性が、最後にはそこから解き放たれ、一隻や二隻の戦艦なら鼻歌交じりに爆破してみせる、そんな物語である。
未熟な自分を導いてくれる言葉だと思っていたが、それは単に自分を縛り付けコントロール下に置くための呪いの言葉でしかなかった。こうした反転が「人を見た目で判断してはならない」「所属する組織とはいえ常に疑問を持つべきである」といった多重の構造と共に巧妙に配置され、物語は「ヒドゥン」や「エイリアン・ネイション」といった、80年代後半に量産された異星間バディ物の体裁を借り、時にオフビートに展開する。過去の記憶を失っていたヴィァース/キャロル・ダンバース/キャプテン・マーベル(ブリー・ラーソン)が全てを理解し、覚醒し、宇宙空間で歓喜の雄叫びを上げる時、理不尽な抑圧を経験したことのある全ての人間は、共に快哉を叫ぶであろう。
劇中、キャロルは笑うこともあるが、通りすがりの男がまるで挨拶とワンセットであるかのような「笑えよ」という無自覚な抑圧には笑わない。当たり前の話だが、可笑しいか可笑しくないかは彼女が決めるのだ。