アナーキー・イン・ザ・コート 〜それでもボクはやってない〜
「それでもボクはやってない」を観ました(109シネマズMM)。
言葉が通じない。心も伝わらない。想いはどこにも届かない。かつて神の怒りに触れ、言葉を分かたれた人間たち。我々バベルの末裔は、永遠に分かり合うことができないのか?
上記は「バベル」のコピーですが、日本における“裁判”という名のディスコミュ二ケーションを描いた、この映画のテーマでもあるよなぁ、と思いました。痴漢冤罪事件を題材にした、周防正行の実に11年ぶりの監督作品。
同じ土俵で比較するのはちょっとアレかもしれませんが、例えばジェノサイドというハーコーな現実を日和った作風で描き顰蹙を買った「ホテル・ルワンダ」が、一時の盛り上がりは何だったの?と思える程、急速に忘れられつつある昨今、思わず目を背けたくなるような日本の法制度や警察機関をただただ「ヒドイ!」とそのまま提示した本作は、「ホテル・ルワンダ」よりは息が長いだろうし、映画として充分意義のある作品ではないかと思います。
当初は「裁判所というプロの集団から、見事無罪を勝ち取った冤罪事件の支援団体(素人)」というエピソードに触発され、映画は動き出したそうなのですが、取材を進めていくうち、裁判を取り巻くあまりにも酷い現実に「知らんぷりしてハッピーエンドの映画なんて作れなくなってしまった」という周防監督。本来、客観的であらねばならないはずの法廷が、「中学生なのに被害者ってカワイソウ…」「犯行を否認し続けるなんて、全く反省していない!」と、ビックリするほど主観的だったりするのは、義憤を通り越してただただ驚愕の感情しか持てません。一度起訴した人間を「無罪」と覆すのは、いわば「お上に立て付き、顔に泥を塗るのと同じ」という、これまた驚愕の事実。これでは、言葉が通じていないし、心も伝わらないし、想いもどこにも届かない訳です。
傍聴オタクの青年が、主人公に「ホントは触ったんだろ?」と言い寄るシーン。
ピュアな悪意。これまで基本的に性善説を説いてきた周防作品において、それを自ら否定するような象徴的なシーンです。「それでもボクはやってない」は、周防正行のフィルモグラフィーの中でも変革期に位置する作品なのでしょう。DVDで何度も反芻したい類の映画ではありませんが、この愚直なまでに実直な作風を、私は支持したいです。