理想主義者は〝男らしさ〟から降りる 『梨泰院クラス』

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 ほとんど連続ドラマを観ない習慣にあって、例外的にどっぷりハマってしまったのが数年前の「ブレイキング・バッド」であったが、引き続きそんなに連続ドラマを観ない習慣を継続しながら、何気なくかじった一口から貪るように続きを観てしまったのが「梨泰院クラス」であり、韓国製の連続ドラマにハマったのも実はこれが初めて。そんな海外連ドラ初心者の身であると自覚しつつも、「一体何にそんなに焚き付けられたのか?」を以下に記すので、ご興味がおありの方は是非ご一読頂ければと思います。

■あらすじ
 とある高校に転向して来たパク・セロイ(パク・ソジュン)。セロイは転校初日に、グンウォン(アン・ボヒョン)という生徒が別の生徒を執拗に虐めている現場を目撃する。グンウォンは韓国一の飲食チェーンを展開する「長家(チャンガ)」グループの御曹司であり、他の生徒は虐めに対して見て見ぬふりをしている状況だった。同級生のスア(クォン・ナラ)からグンウォンの家柄を説明され「やめておいた方が」と止められるも、セロイは虐めをやめさせる為にグンウォンを殴ってしまう。
 長家会長のチャン・デヒ(ユ・ジェミョン)が直々に学校へやってきてセロイに土下座を要求する。その場にセロイの父(ソン・ヒョンジュ)も呼ばれたが、セロイの父は長家の従業員であった。「(自分のしたことが)悪いと思えないので」と涙ながらに土下座を断ったセロイだったが、けじめをつけるために父親はチャン会長にその場で辞職を申し出る。
 長家を辞め、二人の夢であった独立した飲食店のオープンを準備するセロイと父。そんな中、父親は交通事故で帰らぬ人となってしまう。
 轢き逃げした人物が出頭するも、路上カメラに写っていたのはグンウォンの車であることにスアが気付いてしまう…

 と、ここまでが第一話で、以降は一言で言ってしまえば韓国映画などにも顕著なジャンルである「復讐劇」であることがわかる。しかしながら、いつくかの点において、私が(韓流ドラマに対して)イメージしていた「ベタな展開のドラマ」という印象をアップデートしてくれる、革新的なテーマが見受けられたのである。

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■家畜と人間
 父の仇であることを知ったセロイはグンウォンを殺すつもりで殴打、しかし直前で手を止め、傷害罪で服役することに。
 実は長家は警察にも顔をきかせており、グンウォンの轢き逃げもなきものにしてしまう。難を逃れたグンウォンだが、父親に呼び寄せられて、自宅の鶏舎に連れて行かれてこんなことを言われるシーンがある(2話)。

「鶏の殺し方も経営も 主なら全てを知っておくべきだ いまからこいつを料理する

首をひねって殺す 羽をむしり内臓を取り出してから細かく切って油で揚げる

お前が首をひねってみろ」

 「できない 僕には無理だ!」と、今にも泣き出しそうなグンウォンの首根っこを捕まえ、父はこう続ける。 

「無理か 家を継がないのか?やれ!ちゃんとひねらないと首が折れたまま暴れまわるぞ」

「パク・セロイを見て分かった お前と違って器がデカい だがあいつは家畜 お前は人間だ あいつに2度も殴られたんだろ?なぜ罪悪感を持つ?この鶏はパク・セロイだ」

「俺の息子なら 長家の後継者なら…鶏や豚を食う時 罪悪感など抱くな」

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 ここまで来て、私はこの連続ドラマの本丸をようやく理解した。つまり、この時点で主人公が打倒すべき敵が掲げてる、亡き父の仇の親であり絶大的な権力を有する王であるチャン会長に象徴される「家父長制」、並びに、素質のない人間に「一端の男なら鶏の一羽も殺せずどうする」と迫る〝有害な男らしさ〟である(グンウォンは確かにどうしようも無いクズでドラ息子ではあるが、彼もまた〝有害な男らしさ〟によって生み出された被害者であることが、終盤に本人の口からも語られる)。復讐劇としてこの二点が設定されたことは非常に興味深い事象であり、私自身も以降は襟を正しての鑑賞となった。

■頭をかく理想主義者
 出所後、セロイは「タンバム」という居酒屋を始める。この小さな居酒屋から始めて、飲食業界のトップ企業である長家に勝負を挑むという壮大な計画である。客のあるトラブルにより、セロイは警察署でグンウォンと再会。そこでセロイの口から「お前の時効が成立する前に罪を贖ってもらう」という趣旨の復讐計画も明らかになる。
 このセロイの計画には実はとんでもない隠し兵器があり、そこでまた1話に立ち戻るという伏線の貼り方が絶妙であり、それが判明する6話の終わりは前半最大のクリフハンガーと言って良い。
 色々あってセロイは長家社内の反会長派であり、亡き父とも親しかったカン専務(キム・ヘウン)と手を組むことになる。カン専務に「目標は復讐だけ?」と聞かれたセロイはこう答える(セロイは、返答に困った時・照れ臭い時・激しく湧き上がる感情を抑制する時など、頭をかくというか短髪を前に撫で付けるようなクセがある)(8話)。

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「復讐…その後に 僕が欲しいのは自由です」

「僕と仲間が誰にも脅かされないよう 自分の言葉や行動に力が欲しい 不当なことや権力者に振り回されたくない」

「自分が人生の主体であり 信念を貫き通せる人生 それが目標です」

 「さすが理想主義者の言葉ね」と返すカン専務。こんな当たり前の言葉が理想主義と捉えられてしまう現実。現代の韓国よりは、日本に住む者の方がより深い感慨を覚えるような気がしてならない。

■理想主義者の怒り
 タンバムの従業員:料理人として、ヒョニ(イ・ジュヨン)というトランスジェンダーのキャラクターが登場する(演じているイ・ジュヨンは女性なので批判もありそうだが、韓国のLBTG事情や芸能事情に疎いので指摘に止めさせて頂く)。ヒョニが「最強の居酒屋」というテレビ番組の料理対決にて決勝の直前、ネット上で「ヒョニはトランスジェンダー、元男性である」という旨の噂が拡散され、ヒョニは収録直前にスタジオからいなくなってしまう。局内を探しまわってやっとヒョニを見つけたセロイは、失意のヒョニにこう言葉をかける(12話)。

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「逃げてもいい いや、悪くもないのに〝逃げる〟は変だ」

「好奇の目に耐えてまですることではない お前はお前だから 他人を納得させなくていい 大丈夫だ」

 泣き崩れるヒョニを受け止め、カン専務に言った「僕と仲間が誰にも脅かされないよう 自分の言葉や行動に力が欲しい 不当なことや権力者に振り回されたくない」の言葉を思い出すセロイ。そしてヒョニを受け止める微笑から一転、往年の高倉健もかくやという鬼神の表情を浮かべ、こう独白して結ぶ。

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「心の底から怒りがこみ上げてくる」

 パク・セロイという人物に関しては、特にLBGTフレンドリー/ストレイトアライ的な側面を強調して描くような場面はない。むしろそうしたことには疎いが、単純に人種や性別に対して偏見がなく、不平等であることが許せないだけであろう。

■〝男らしさ〟から降りる
 詳細は端折るが、セロイ率いる株式会社ICは、タンバム従業員の一丸となった働きなどにより、長家を脅かすまでの企業へと成長していた。そんな中、ある人物による暴力沙汰でセロイは瀕死の重傷を負ってしまう。朦朧とした意識の中で、セロイは亡き父親の夢を見る。その川は渡らないで的なシチュエーションが展開する中、「今まで辛かったろう」と息子を労う父に、セロイはこう打ち明ける(15話)。

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「〝何てことない〟〝問題ない〟って頑張ってきた でも本当は 1日も楽な日はなかった」

「父さんが恋しかった 誰かを憎みながら生きること自体がつらかったよ」

「(父さんを)抱き締めても?」

 劇中、セロイは降りかかる如何なるトラブルも、所謂〝不屈の精神〟で乗り越えてきた。それが父親の前ではこうした「復讐者として、男として威勢を張る」その反動である弱さや脆さを吐露して見せる。「リベンジってマジでシンドイ」と主人公の口から語らせるのは、中々画期的であるように思う。この他にも、これ以前の大一番で、チャン会長にしてやられた際にセロイを襲う身体的変化=「ショックと嫌悪感から嘔吐してしまう」も、男性キャラクターにこうした表現を託すのは自分の記憶でもあまりお目にかかったことはない気がするのである。

 以上、復讐劇ともう一つの主軸であるスアとチョ・イソ(キム・ダミ)との三角関係には全く触れなかったが、とにかくこの紹介で少しでも『梨泰院クラス』というドラマに興味を持って頂ければ幸いである。いろいろな機会で言っているが、とにかく騙されたと思って、1話だけでも見てみてください。

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