僕の世界の生き辛さ「Mommy/マミー」


 カナダの新鋭、グザヴィエ・ドランの新作は、カナダの近未来予測的な、架空の世界を描いた意欲作である。
 発達障がいを持つ子供の親が、法的手続きを経ずに養育を放棄したり、当該の施設・病院などに強制入院させることが可能となる新法案がカナダで可決される。ADHDの息子:スティーヴを抱えるシングルマザーのダイアンは、矯正施設から退所したばかりのスティーヴを引き取り、新法案の餌食にならないよう「私が一人で育てる」と、情緒不安定かつ暴力的な傾向もある息子と向き合おうとするのだが…という、カサヴェテスの「こわれゆく女」ならぬ「こわれゆく我が子」という物語。

 これまで、自分にとって切実であるテーマしか撮っていない印象があるドランだが、ゲイであることを公言する自らが主演し、田舎の保守性・男根父権主義からの脱出を描いた前作「トム・アット・ザ・ファーム」の次に選んだのは、15歳のADHDの息子と、その母親との濃密な交流を描いた物語。多動性の人の「普通の人間に比べてより色々なことが見えてしまう/聞こえてしまう」というある種の才能が、順応性の無さと見なされ阻害されてしまう生き辛さに、若き天才は切実な問題を見出したのではないだろうか。その「生き辛さ」は、スタンダードサイズですらない、1:1という独自のアスペクト比で表現されるが、これはどちらかというと、それと対比として描かれる、中盤と終盤に差し込まれる「解放」を意味するスクリーンサイズの拡がりを強調するがゆえの試みだと思われる。
 興味深いのは男性のキャラクターの描き方である。ある意味で主役であるスティーブはさておき、劇中に登場する近隣の男性は恐ろしく薄っぺらく、かつマッチョで旧態依然とした父権を振りかざすようなタイプの男で、問題を起こしたスティーヴへの対応でダイアンに失望される。あとはキャラクター名があってもなくても構わないような施設の職員などで、ようするにほとんどの男性キャラクターは添え物的な扱いなのである。
 母ダイアンと共にスティーヴの面倒を見ることとなるカイラは、精神的な問題を抱え勤め先の高校を休職中の既婚女性である。ダイアンも、向かいの家に夫と子供と暮らすカイラも、ヘテロセクシャルのキャラクターではあるが、これはゲイカップルが子育てをすることの暗喩と見ることもできるだろう。リー・ダニエルズの「プレシャス」がそうであったように、近代のドラマにおける男性の役割は、「種」を提供する以外に(あるいは女に厄災をもたらす以外に?)何かあるだろうか?という大胆な問いかけであるようにも思えなくもない。

 カイラに勉強を教えてもらっていたスティーヴが彼女を試すことをやめず、床に押さえつけられた上で怒鳴られ、スティーヴは恐怖のあまり「ある生理現象を起こしてしまう」という印象的なシーンがある。そこでカイラは動じることなく所謂「母性」的な対応を見せるのである。こうした柔軟で臨機応変な対応を「母性」的とすると、作中の恐怖の象徴となる「新法案」の冷徹さや合理主義は「父性」的と取ることもできるだろう。身内や知人に障害のある人間が存在しない人々も、こうした「母性」に象徴されるような理解を持って接することができれば、世界は今よりもっと「生き易い」世界になるのではないか?「マミー」というタイトルには、ドランのそうした祈りも含まれているような気がしてならない。

トム・アット・ザ・ファーム [Blu-ray]
TCエンタテインメント (2015-05-02)
売り上げランキング: 19,576
プレシャス [DVD]
プレシャス [DVD]
posted with amazlet at 15.05.12
ファントム・フィルム (2010-11-05)
売り上げランキング: 73,414