え?!寅さんが妊娠?「ハラがコレなんで」


例えば「男はつらいよ」を評するときに「今回はマドンナに肩入れする寅次郎の内面の描き方が弱い」などと言う人はあまりいないと思うけど、それは日本国民の大多数が「車寅次郎」という男のことを知っているのであえて説明するまでもない、という所にもあると思う。
義理人情に厚く、気に入らないことには噛みつき、本音と建て前を指摘すれば「それを言っちゃあオシメーよ」と返す。まさに日本人だからこそ愛された、正直者といい加減な人間の混血児と言えよう。
「ハラがコレなんで」の主人公:光子(仲里依紗)は映画の冒頭、テレビに写ったリストラされたサラリーマンへのインタビューを見て、ポロポロと涙を流している。普通の文脈で見れば、このサラリーマンは光子のよく知る人間、夫かもしくは兄弟なのではないか、と推測するはずである。だが、このしばらく後にわかるのだが、光子とこのサラリーマンとは何の繋がりもなく、単純に同情して泣いていた、ということが判明する。
そのお腹の大きさからもほぼ臨月であろう光子は、突如住んでいた家を引き払って、東京の外れの長屋にやってくる。実はここは15年前、夜逃げした両親に手を引かれて辿り着いた、光子にとっては思い入れのある場所だった。出産を控えた光子は、この長屋の大家の家に無理矢理住み込むことを決めてしまう。光子が、寂れた長屋界隈・そこに集う人々をゴリ押しの善行で変えていく、というのが「ハラがコレなんで」の大まかなストーリーである。
光子はことあるごとに「粋だねぇ」「そりゃあ粋じゃないね」「野暮だね」などと言う。
シングルマザーで住所不定の妊婦。世の中で一番庇護されるべき対象の人間に所謂「寅さん」的な台詞を吐かせる、という手法は、ある種、成功しているかのように思える。しかしそこに貢献しているのは、明らかに仲里依紗という人の存在による所が大きいような気がした。仲は、現在登り調子にある人特有の勝ち気さとセンス重視の演技で、2011年という現代においてはただの「鬱陶しい人」になりかねない光子というキャラクターを、奇跡的なバランスで成立させている。

長屋に集う、世の中からドロップアウトしてしまった人々をジプシー/ディアスポラ的な感覚で描くやり方は、劇伴のクレズマーっぽい雰囲気と相まって、かなり成功しているように思える。ラストの光子出産に至るまでのドタバタは、褒め過ぎかも知れないがクストリッツァの「アンダーグラウンド」的と言えないことも無い。
そしてやはり特筆すべきは、おそらくは3.11前に企画されたであろう本作のラストが、意図せずして「かの地」で幕を閉じる所であろう。
3.11以降、カタカナ表記で「ヒロシマ」と同等の意味を持ってしまった場所で撮影が行われたという事実は、否が応でも現実の世界とフィクションとをリンクさせてしまう。そこで産まれてくる子供に向かって語りかける光子の言葉は、とてつもない重さを持って観客に降りかかるのである。