20年遅れてやってきた松本人志的シュール「エクソダス 神と王」「シェアハウス・ウィズ・ヴァンパイア」

・「エクソダス 神と王」鑑賞。

 モーゼが神様から「黙って見ていろ」と言われた「10の災い」。
 川は血に染まり、蛙・ブヨ・虻・が大量発生、疫病大流行、皮膚病も大流行、雹がガンガン降る、蝗も大量発生、雲でエジプト真っ暗、長子は皆死ぬ。
 心身ともに極限状態に達したエジプトの王ラムセスは、とうとうヘブライ人の奴隷たちにこう叫ぶ。
「…もうカナンの地でもどこでも行ってくれ!出てってくれ!!!」
 ちなみにその神様(預言者?)の外見は、坊主頭の小僧である。


・「シェアハウス・ウィズ・ヴァンパイア」鑑賞。

 ヴァンパイアの日常をPOV方式で綴ったモキュメンタリー。誰もが知るモンスターの日々の暮らしを追う様が笑いを誘う作品だが、とりわけ可笑しいのがヴァンパイア皆から好かれるスチューというキャラクターである(画像一番右の人物)。彼の紅潮した頬を見て「旨そう、たまらない…」としながらも「スチューはイイ奴だから」というだけの理由で獲物になったりはしない。


 ありえないような災いのつるべ打ち、そして遂にはブチ切れる王様。吸血鬼の日常をクソ真面目に描くことで浮かび上がる馬鹿馬鹿しさ。
 上記2作品を観ながら、真っ先に頭に浮かんだのは松本人志のことである。


 狂人の料理番組、トカゲのオッサン、ベタベタな関西ノリの白人、スーパースター板尾、海から出現し一言告げる係長、などなど、各コントを挙げていけば切りがないが、90年代初頭〜終盤まで、松本人志が嵐のように駆け抜け才能を迸らせていたのは「ダウンタウンのごっつええ感じ」という番組であった。
 日常に潜む狂気、あるいは狂気を逆に日常に放り込むことで際立たせる、松本のそうした手法は、お笑いにおける「シュール」という感覚を上書きし、後の日本のお笑いにも絶大な影響を与えているように思う(そしてかなりの割合でそれは後続の芸人に「シュールはクールだ」と勘違いさせた功罪であるようにも思う)。
 そんな松本も、2007年に「大日本人」で監督デビューを果たす。実に「ごっつ」終了から10年が経過していた。
 例えばその「ごっつ」終了間もない頃に松本がメガホンを取るような状況を、もし周囲の人間が整えていたならば、「大日本人」はあのようなオチになっただろうか。「さや侍」のラストの、全てを長々と説明する弾き語りを採用しただろうか。
 昨今の様々な洋画の「妙な」シーンに触れるたびに、松本の先見の明を思い、そんなことを考えてしまうのである。