ウェルズ・タワー「奪い尽くされ、焼き尽くされ」

奪い尽くされ、焼き尽くされ (新潮クレスト・ブックス)
ウェルズ タワー
新潮社
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73年生まれ、学年でいえばミランダ・ジュライと同学年のウェルズ・タワーのデビュー短編集。収録された9篇どれもが異なった味わいで、しかも読みやすい。相当な力量のある人なのではないかと思う。
近代の映画や文学では、結構な数の作品で「家族/近親者としての不幸」取り扱ってきたように思う。簡単に言えば「東京物語」でヒール的な位置付けであった杉村春子が演じた役を考えてみれば良い。
婚姻関係や血縁関係において、「ソリが合わなくなる」ことほど絶望的なものはないだろう。そうした関係にない他人であれば、関係に距離を取れば良いだけだし、宣言して断絶することだって可能だろう。しかし、妻と夫、恋人、愛人、親兄弟という関係においては、そうした「距離をとる」際にもかなりのエネルギーを消耗する。別れようとする方も、また再び距離を縮めようとする方も、それなりの覚悟を持って挑まなければならなくなる。
タワーの作品では、そうした基本構造がストーリーラインにありながら、潤滑油の役割を果たす他者が重要な存在となってくる。しがらみがないからこそ、膠着した人間関係のカンフル剤となりえる、という訳である。しかし恐らく、現実社会には「東京物語」における紀子:原節子はいない。いないどころか、事態をより悪化させる「火に油」的なキャラクターの方が多いと言えるのではないか。タワーの作品群は、その「関係を緩和したり悪化させたりする他者(かならずしも人とは限らない)」の双方を登場させながら、紀子が「いたら良いな……」という、ある種のほのかな希望を匂わせて結ぼうとするものの、まぁ大概のエピソードは宙を漂ったままだったり、もっと悲惨な「予感」を提示して終わる。
以下に、各短編の簡単な説明を。


「茶色い海岸」
亡き父とその友人が所有する海辺の別荘へ住み込むことになった、妻と別居中の男。そこで同年代のカップルと親しくなるが…


「保養地」
いまや50に手が届こうかという中年男が、疎遠になってしまった弟と関係を修復しようと試みる話。兄弟のキャラクター造形/その対比が見事。


「大事な能力を発揮する人々」
発明のような工業デザインを生業とする男が、痴呆症の父親と何年かぶりにマンハッタンの公園で会うことになる。そこには彼の後妻とチェスプレイヤーが加わり…。


「下り坂」
別れた妻から、現在の夫(かつては知人であった男、要は寝取られた)が山奥で怪我をして、病院まで運んでほしいと頼まれる。踏んだり蹴ったり感が素晴らしい。


「ヒョウ」
少年が主人公。子供が取る行動の突拍子の無さと、鋭い人間観察/視点が両立している様がよく描かれている。


「目に映るドア」
老人が主人公。老人の取る行動の段取り、経験からくる凝り固まった偏見の両面が鋭く描かれる。最後に紀子登場。


「野生のアメリカ」
少女が主人公。男性が作者であることを一瞬忘れてしまいそうなくらい、この年頃の少女の内面描写が見事。


「遊園地営業中」
遊園地で少年が「イタズラ」されてしまった顛末を群像劇的に描く。「マグノリア」meets「アドベンチャーランドへようこそ」といった味わいの秀作。


「奪い尽くされ、焼き尽くされ」
北欧のヴァイキングが主人公。中世に生きていた彼らに想いを馳せながら、暴力とセンチメントの両面を描く。村上春樹が読んだら物凄く嫉妬するんじゃないだろうか。



全体的に、文体は多様なのにどれも非常に読みやすく、これは凄い新人が現れたもんだなぁ、と思いました。どのお話も人物像がクリアに浮かんできて、中でも「茶色い海岸」の主人公はザック・ガリフィアナキス、「大事な能力を発揮する人々」の痴呆症の父はリチャード・ジェンキンスが浮かんできて仕方がなかった。近いうちにどれかがブラッシュアップされて映画になったりすんじゃないだろうか。