メロドラマの巨匠:ダグラス・サーク諸作品を鑑賞 その2

■自由の旗風(1955)

アイルランド独立運動をテーマにした歴史冒険活劇。その1における「僕の彼女はどこ?」と同じコメディタッチの軽妙なテイストは、今回のボックスのラインナップでいうとサークのアザーサイドといった所か。宿屋でロック・ハドソンと髭モジャの宿屋の主人がスラップスティックに殴り合いをするシーンがあるんだけど、そこがなんとなく「天空の城ラピュタ」っぽい(炭鉱町に三兄弟がやってくるシーンね)なと思ってしまった


翼に賭ける命(1957)

個人的に一番面白かったのがこの作品。かつての戦争の英雄である曲芸飛行の飛行士、その妻、飛行機の整備士、という三角関係にプラスして、彼らを取材しようとする新聞記者が加わり、四つ巴のドロドロした愛憎劇を繰り広げるというお話。しかも新聞記者と人妻の、ヘテロ間の不倫だけには終わらず、飛行士と整備士の間には共依存的なホモセクシャルっぽさも匂わすなど、もう手が込みすぎていて観ながら悶絶した。3人の男の中でプラチナムブロンドが眩しい(モノクロのまた映えること)ドロシー・マローンの「全身ファムファタル」みたいな感じがすさまじい。原作はフォークナーの短編「標識塔」(全集にしか収録されていない)。


愛する時と死する時(1958)

反戦映画の手法には大きく分けて二つの種類がある。一つは戦地の悲惨な戦闘の有様をこれでもかと描く手法と、一方で国に残された人たちはこんな辛い思いをしていた、と、戦闘とは無関係の所でジワジワとやる手法。この映画では休暇でロシア戦線から祖国に戻った主人公が、変わり果てたドイツ国内に呆然としながらも、知人の娘と恋に落ち、再び戦線に戻る前に婚約をする、というお話。物語りも終盤に差し掛かって結婚をするので、もうなんというかフラグがビシバシ立ちまくっているのだけど、案の定、観客の涙を搾り取るような「そういう終わり方」をする。しかしこの終わり方でないと「戦争の不条理」は浮き立ってこないのであろう。
廃墟とした化した故郷を主人公が眺めていると、突然ピアノの不協和音のような劇伴が聴こえてきて……と思わせておいて実は切断された電線が打ち捨てられたピアノの弦にあたって音が出ている、という「まさに不条理の只中にいる」という演出が上手すぎて悶絶した。ガレキの山と化したベルリン、という点では後の「マリア・ブラウンの結婚」への影響なども垣間見える
原作者のレマルクが恩師の教授役で、ゲシュタポ役でクラウス・キンスキーがチラッと出てくる。


悲しみは空の彼方に(1959)

原題は「イミテーション・オブ・ライフ」なので、ピンときた人も多いだろうけど、R.E.M.の曲名はこの映画が元ネタ。
遅咲きの女優のサクセスストーリーと、彼女にサーブするメイドとの友情物語の、2本の柱がメインとなっている。黒人のメイドには一見すると白人と見分けが付かないムラトー(混血児)の娘がおり、物語の終盤にはこの娘の彷徨えるアイデンティティの問題に的が絞られる(制作はカサヴェテス「アメリカの影」と同年)。当然「アタシってなんなのよ!」「なんで産んだのよ!」→「お…お母さん…ぐ、ぐぅおめんなさぁいぃぃ!!!」というコンボでこれでもかと観客の涙を搾り取る。


というわけでボックスセット2巻、全7作を観た感想としては「もっと……もっとメロドラマ!」という心境に至りました。後は近いうちに「風と共に散る」も鑑賞したいと思います。

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