黄昏時にバスは「ウィ・アンド・アイ」


特定の人物に目を付け苛めている人間に「人を苛めている」という自覚がなければ、そもそも苛めは成立しない、という言い方がある。
だが、苛められている方にも「自分は苛めれている」という認識がなければ、同じように「苛めなど存在しない」と言えるのではないだろうか?
ミシェル・ゴンドリーの新作長編は、ブロンクスの路線バスを利用する、とある高校の生徒たちの物語。彼らが学校を出て帰路につくまでの数時間に的を絞り、主にバス内での出来事を切り取った非常にコンパクトかつパーソナルな青春群像劇だ。
ゴンドリーという人は、絵に描いたような「変人」である。彼が手がけたPVを振り返ってみれば、レゴのブロックを積み上げてそれでコマ撮りをしたり(#1)、デジタル合成で人物を無限に増殖させてみたり(#2)、メロディやビートを車窓から見える風景に託してみたり(#3)と、常人には到底考え付かないようなアイデアを盛り込んで、しかもそれが一向に衰える様子がない。バンドを組んで自らドラムも叩く。自分のような凡人には、彼はちょっとした超人のように思える。
そんな彼に、普遍的な青春映画を撮らせてみたらどうなるか?という一つの答えが「ウィ・アンド・アイ」にはある。一見するとこれまでのアヴァンギャルドなテイストを封印したオーソドックスな作風のようにも思えるが、今回も「視点の転換」という手法を用いて、一筋ではいかない青春物語に仕上げている。

映画の冒頭で、悪ガキたちの「いきすぎた」バスの乗客への嫌がらせが面白可笑しく綴られる。こうした、若者が抱く根拠のない「俺たち最高」感(何故この手合いはバスの最後尾に陣取るのか?)に対して「全く身に覚えがない」といえば嘘になるので、自分の高校時代を思い返してニヤニヤしつつも、若干の違和感を抱きながら鑑賞していると、物語が進行するにつれて生徒たちは一人また一人とバスから降りていき、最終的に視点は物語の核を成す三人の少年少女に絞られる。
そこに残るのは、もう大勢の中で「個」を殺して同調している高校生ではなく、10代の少年少女の剥き出しの感情だ。そんな中、ゴンドリーはこれでもかとばかりにある爆弾を投下する。それはブロンクスで青春時代を送る彼らにとって、できれば目を背けたいが、すぐそこにある現実だ。
この作品には演技経験のない多数の高校生が出演しており(ほとんどが役名=本名)、エンドロールではある生徒の母親が「このプロジェクトに参加できたことが息子にとって如何に有意義であったか」という、スタッフに宛てた手紙の朗読を聞くことができる。たかが映画、されど映画というが、一本の映画がある人間の人格形成にまで大きな影響を及ぼしたり、その人生を左右したりすることだって、確実あるのだ。

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※ 公式サイトおよび映画館配布のチラシには、「あらすじ」欄で無神経なことに重要なオチ(上記した“爆弾”にあたるモノ)まで明記してしまっているのでご注意を。

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