手負いのネコと喋るクマ 〜「ザ・フューチャー」と「テッド」の35歳問題〜


※両作品の内容に触れているので未見の人は注意
まず、偶然ではあろうけど、共に「35歳、付き合って4年になるカップル」をメインのキャラクターに据えているという点が共通していることに驚いた。そして「カップルの将来を改めて考えるきっかけとなるのが動物」という点も同じである(まぁ片方はぬいぐるみだけど)。
米映画に見る35歳問題

「ザ・フューチャー」は怪我をした迷い猫:パウパウをシェルターに運び込んだカップルが、その猫を引き取りに行くまでの30日間に、お互いの関係を見つめ直してみようと模索する物語。その30日間には、転職など様々な環境の変化、それぞれに新たな人間関係を築く変化などもあり、最終的にカップルは破局を迎えてしまう。当然、30日間の猶予の後、猫の余生を責任を持って引き受けることをきめていた当初の計画も、二人が別れてしまうことにより宙に浮いてしまう(このパウパウの顛末の切なさ、というか諸行無常感がすごい)。

対する「テッド」は、クリスマスの晩に願をかけて命が宿った熊のぬいぐるみ:テッドと、持ち主である少年ジョンが、成長して大人になってからの物語。ジョンには付き合って4年になるガールフレンド:ロリーがいて、彼女から「いい年して(テッドと)二人で仕事サボってジョイントなんか吸ってないで大人になって」と釘を刺される。一度はテッドを追い出し別々の暮らしを始めるカップルとクマであったが、ロリーの上司に招かれたパーティーをすっぽかしたことでジョンはロリーに三行半を突きつけられる。しかしクライマックスにはテッドが変態親子によって誘拐されるという事件が起こり、それを解決後に最後はジョンとロリーが結婚式をあげる、というある種の力業によるハッピーエンドで映画は幕を閉じる。
二人が別れてしまったからバッドエンドだとか結ばれたからハッピーエンドだとか、そのような単純な問題ではないが、それぞれ「35歳」という「もうとっくに子供ではないし、自分や自分のパートナーとの将来や老いについて考えざるを得ない」という、微妙な年齢を描いている点で「ザ・フューチャー」と「テッド」は対照的な映画だと言って良い。
男女の視点

「ザ・フューチャー」で印象的なシーンの一つに、ダンス教室で働くソフィー(ミランダ・ジュライ)が30日間で仕事を辞め、その後に復職を申し出ると「もうアンタのポストなんてあるわけないじゃない」と言われ「でも、条件によってはないわけでもない」と、降格されられた上にしたくもない受付の仕事をニコニコしながらこなさなくてはならない、というシーンがある。ジュライ自身はインタビューでこの展開を「これはホラーなの」と解説しているが、恐らくはその後の、元同僚が結婚して子供がドンドン成長していく妄想の場面も込みで「ホラー」なのだろう。昨年、パートナーであるマイク・ミルズの子供を出産しているジュライは、恐らくはそうした「(女性が)世間から取り残されていく」ことの恐怖を、自分がもしその立場だったら…と、このシーンに託しているのではないか。

「テッド」では、テッドとジョンが共有した思春期の象徴として「フラッシュ・ゴードン」のサム・ジョーンズが本人役で出演している。先に記したパーティーので失態は、テッドのホームパーティーに「サム・ジョーンズが来ている!」と電話を受けたジョンが、いてもたってもいられずロリーの上司のパーティーを抜け出して駆け付け一緒にバカ騒ぎをしているところをロリーに見つかって愛想を尽かされる、という展開になる。しかし、色々あって最後の結婚式ではサム・ジョーンズが司祭?として再登場し、二人の結婚を祝福するのだから、結果として「フラッシュ・ゴードン」は卒業しなくても良い、という意味にもなる。ここでサム・ジョーンズ本人の口から「いつまでも俺のしょーもない映画ばっか観てないで嫁さんを大事にしろよ!」的な台詞があっても良いと思うが、そうした言葉はない。
プレ「中年の危機」としての「35歳問題」
日本とアメリカの「35歳問題」には経済的格差の問題などの違いがあるように思われるが、恐らくは同じような題材を邦画で描いたとしても、主に団塊ジュニアの層が主人公に設定されるであろう。自分は35歳より少し年を取ってしまったが、最近、自分の学生時代からの友人も多いFacebookのニュースフィードが「我が子の画像アップ大会」の様相を呈していて愕然としたことがあった。上記したミランダ・ジュライの「ホラー発言」ではないが、かなり取り残された気分になったことは確かである。自分も含め、この年代、SNSの存在が当たり前の世代がこれから体験するであろう、ミッドライフ・クライシスの前段階とも言える「35歳問題」。その人生の岐路に立たされた時、決定的な意見の食い違いがあったわけでないのに別れてしまうカップルもあれば、致命的な衝突があったにも関わらず修復に至るカップルもあったりする。上記した男女の違いもあるだろうが、同じような題材を選んだとしてもメジャー作品とインディーズ作品でこれだけ違いが出てくるのは非常に面白いし、率直にミランダ・ジュライが撮った「テッド」を、セス・マクファーレンが撮った「ザ・フューチャー」を観てみたいと思った。