郊外映画としての「ツリー・オブ・ライフ」


テレンス・マリックという人は、その数少ないフィルモグラフィーの中で、決して単純な映画を撮る人ではないけど、未整理のプロダクツを観客に丸投げしてしまうような人でもない、と思っていた。
「地獄の逃避行」も「天国の日々」も「シン・レッド・ライン」も「ニューワールド」も、どれも内省的な作品ではあるが、作家の独りよがりのようなものは感じたことはあまりなかった。
しかし、マリックの最新作「ツリー・オブ・ライフ」は、天地創造とサヴァーバンライフが綯い交ぜになったような難解な作品として、観客の前に放り出されてしまった。映画監督としては70歳にさしかかろうというますますの円熟期に、何故このような映画が出来上がってしまったのか?
歴史の浅い国で無謀にも神話を築こうとするには、作品に含みを持たせて、観客に論争を巻き起こすような作風にしてみるのが吉なのではないか。ファンダメンタリストとエイシストの両方を納得させるような、漠然とした“意識”のような神を描くには、一体どうしたらよいのだろうか。そうした試行錯誤の挙句に完成したのが「ツリー・オブ・ライフ」であったと、贔屓のある監督なので個人的には好意的に評価したい。
だがしかし!作品単体としても観ても、テレンス・マリックの映画として観ても、お世辞にも褒められたものではないように思えた。感想として上手くまとめられなかったので、以下に自分が気になった点をまとめた雑文を記しておきます(※内容に触れています)。




オブライエン家のエピソードは、詳しい説明はされていないけど、おそらくは50年代という設定。ブラピとジェシカ・チャスティンが若かりし頃、子供たちが生まれる前のイチャイチャ描写に注目(マリックお得意の、カップルが草原を転がるような気恥ずかしいヤツ)。この時、後の父さんオブライエンは軍服?のような半袖シャツを着ている。これはおそらく「GIビルで住宅を手に入れた人」という説明なんだろうと思う。

 この郊外化を理解するためには、戦後の状況を把握しておく必要がある。戦後に続々と戦地から引き上げてきた兵士や、戦時に軍の工場労働者として駆りだされていた人々が、新たな生活を始めるにあたって、まず問題になったのは、住宅が圧倒的に不足しているということだ。その上、後にベビー・ブーマーと呼ばれる世代を生むことになる爆発的な出産ラッシュが追い打ちをかけることになった。
(略)
 連邦政府はその財源を住宅政策に注ぎ込んだ。ニューディール政策で誕生した連邦住宅局(FHA)や戦後の在郷軍人局(VA)といった連邦政府の機関が、家を持つための資金を積極的に貸し出すことによって、自分の家を所有することは、膨張する中流の人々にとって実現が可能なアメリカン・ドリームへと変貌していく。家を購入するのに必要な頭金は、ニューディール以前の50〜67%から10%にまで引き下げられ、返済の期限も10年から30年に引き延ばされた。これだけ買い手にとって有利になれば、人々が郊外の一戸建てに群がるのも頷けることだろう。
「サバービアの憂鬱」第2章 新しい郊外の現実

オブライエン家のパートは、次男の死の知らせを聞いた両親の部分から遡っていくが、この時の暮らしはおそらく60年代に移っている。それっぽいモダンな建築やファッション。50年代パートは父さんオブライエンがリストラ?され、最初の家を家族で出て行くシーンで幕を閉じるので、これはその後に移り住んだ家。しかしなんというか「冷え冷えとしていく60年代」に更に追い討ちをかけるような描写なんだろうか、家は綺麗に整理整頓されているが、夫婦の憔悴しきった雰囲気なども合わせて恐ろしく空虚な感じがする。
50年代パートは主に長男ジャックの主観で進行する。ここでの郊外は、彼の小宇宙である。人々が暮らし、教会で祈り、そしてそこには厄災(近隣の家が火事になる。友達の焼けた後頭部)があり、日常の中で子供も死ぬ(プール?で溺れる)。食料(肉?)を買出しに行く別の郊外は、その多くが黒人で構成されているコミュニティで、それはいわば彼が普段は触れることのない、別の小宇宙だ。
同級生の気になる女の子はいるが、そこはあまり描かれることはなく、青い芽生えは隣人の若奥様に向けられる。一方でカエルをロケットで飛ばしたり空き家の窓ガラスを割ったりなど、性衝動と暴力衝動が並列で描かれる。そしてこれらの事象が描かれるのは、父さんオブライエンが出張している時なのである。父親の不在時に、これらの出来事が象徴的に綴られる。
父さんオブライエンが、皆が帰った教会で一人、膝を折って祈るシーン。その父も出て行くと息子は、誰もいなくなった教会で、長椅子の上をピョンピョンと跳ねて回る。反抗とは取れない、幼さの方が印象に残るシーンである。ここで登場した赤いキャンドルグラスは、大人になったジャックの青いキャンドルグラスへと受け継がれている。このモチーフが意味するものは一体何なのか?
成功したジャックが青いキャンドルグラスを置くのは、自宅の豪華なアイランドキッチン。マリックの「シン・レッド・ライン」で、ショーン・ペン演じるエドワード軍曹は、ラスト近くでこう結んでいた。
「大切なのは、自分を“島”にすることだ」
え、そこに繋がるの?!(違います)