隣はなにを吸う人ぞ「フライトナイト/恐怖の夜」
1985年の「フライトナイト」のリメイク作品。「引っ越してきた隣人がヴァンパイアだった!」という大筋、登場人物の設定など、基本的にはオリジナルに忠実だが、そこには微妙にツイストが加えられているという、まさに「リメイクとはかくあるべき」という佳作だった。
※以下、オリジナルとの比較など(オチこそ触れないけど)を含め作品の内容には触れています。
1.郊外映画としての「フライトナイト」
オリジナルも勿論そういった側面を持っていたとは思うが、比べて見ると驚くことにリメイク作の方がそういった色合いが濃厚になっていた。
まずは砂漠に浮かぶ集合住宅地・屋根の色だけが違う同じ規格の住居郡を印象的に空撮で捉え、そこに「FLIGHT NIGHT」とタイトル。もうこの時点で、2011年のリメイク作が「郊外映画」であることを完全に宣言している。
ネバダの砂漠地帯に突如として出現する、恐らくはサブプライムいけいけドンドン期に開拓してしまったが早くも「寂れ始めた郊外住宅地」が今回の舞台。高校生のチャーリー(アントン・イェルチン)と、不動産を営む母ジェーン(トニ・コレット)は、その引っ越しが絶えないご近所に、新たな住人が越してきたことを知る。後に明らかになる、吸血鬼のジェリー(コリン・ファレル)である。
省略するが、ジェリーが吸血鬼なのでは?と疑念を抱き始めたチャーリーは、彼を家に招くことなく、ポーチでこんな会話をする(以下要約)。
「お前も大変だよな。親父はお前と母ちゃんを捨てるし、母ちゃんはお前を放ったらかしだし、おまけに彼女。お前のガールフレンド。今が熟れ時って感じだ。その果実をもぎ取りたくって、男共は列になって並んでるぜ?お前の母ちゃんだってそうだよ。お前まだ高校生なのにな。本当に大丈夫か?」
つまり、このチャーリーが日頃から感じている鬱憤・そして本音を、ジェリーに言わせている。郊外生活者のティーンエイジャーが、必ずしも全部が正解ではなくとも大筋で間違ってはいないことを、引っ越してきた隣人/他者から、ずばり指摘されてしまうのである。
2.スクールカースト/クラスタ
オリジナルでもリメイクでもチャーリーにはエドという親友が存在する(もっともリメイク版の方はex.親友といった方が良いかもしれない)。
想像するに、この郊外が開拓された同時期に移り住み、仲良くなったエド(クリストファー・ミンツ=プラッセ)は、そのオタクっぽさから学校では「イケてないクラスタ」に追いやられ、そこに属するのを良しと思わなかったチャーリーは、エドと距離を取り始めて現在ではマジョリティー側に属している、ということが暗に語られる。
85年といえば、ジョン・ヒューズがバリバリと映画を撮り始める頃である(「すてきな片思い(84)」「ブレックファスト・クラブ(85)」「フェリスはある朝突然に(86)」)。このジョン・ヒューズの登場と、個人的に印象深いのは「ヘザース(89)」という映画の登場である。
「学校にはカーストとクラスタが存在する」と、世界に宣言してしまった「ヘザース」によって、以降のティーン映画ではこの「スクールカースト/クラスタ」という機軸を無視できなくなってしまったように思える。リメイク版「フライトナイト」では、85年版にはなかった(現実にはあったはずだが映画では描かれなかった)「ティーンが構築する繊細な人間関係」を新たな要素として描いている。
3.州間高速
中盤の山場に、吸血鬼の本性を現したジェリーが、チャーリー、ガールフレンドのエイミー(イモジェン・プーツ)、母ジェーンの三人に襲い掛かる、というシーンがある。
間一髪で車に乗り込んで逃げおおせたかと思いきや、ジェリーが車に張り付いて再び襲い掛かるという、オリジナルにはなかったアクションの見せ場である。ここで登場するのが州間高速、所謂「インターステイト・ハイウェイ」である。
郊外生活者にとって、その居住区と、都市部および買い出しに利用するショッピングモールなどを結ぶライフラインが、この州間高速である。この州間高速がアクションの見せ場となっているのは非常に示唆的で、ここでは不動産業を営む母親が、その職業ならではのある小道具を使って、ジェリーに返り討ちを喰らわせ一時的に難を逃れる(このシーンの雰囲気は上記リンクのレディオヘッド「カーマ・ポリス」のPVにそっくりである)。
そして、この映画に登場する州間高速は、一体どういった場所と郊外住宅地とを結んでいるのか?というと……
4.ベガス
オリジナルで吸血鬼を退治するのは、「フライトナイト」というテレビ番組でホストを務めるピーター・ヴィンセント*1という男だ。これがリメイク版では、ラスベガスで「フライトナイト」というマジックショーのホストを務める男に変更されている。チャーリーはベガスまで出向いて新聞記者を装い、ピーターに接触を試みる。
郊外生活者にとって、ショッピング・モールが日常から非日常へのを切り替え機能をはたしている、という指摘は、大場正明氏の名著「サバービアの憂鬱」でも紹介されていた。リメイク版「フライトナイト」における、「非日常」を売り物にするマジシャンが郊外に潜む悪夢を退治する、という設定は、おそらくこのリメイク版の肝といっても良い。
少し話が逸れるが「ベガスが(表向きだけ)健全になってショッピング・モール化してしまった」という皮肉は、マーティン・スコセッシの「カジノ」のラストでも象徴的に描かれていた。
5.大人と子供
これはツイッターで、とあるフォロワーの方と感想のやり取りをしていて気付いたことだが、ジェリーの描き方一つを取ってみても、その今日性は如実に現れている。
オリジナルでジェリーを演じているクリス・サランドンは、普段から襟付きのシャツにジャケットを羽織り、外出するときは「いかにも'85」という、ごっつい肩パットが入ったコートを纏っていて、これを古来の吸血鬼のマントのように犠牲者に覆い被せて消えたりする。
ではリメイク版のジェリーはどうか?ナイトシフトの肉体労働者、というような紹介がほんの少しだけされるのだが、普段から↑ご覧の通りのタンクトップである(そうでないときはTシャツ)。
ジェリーはオリジナルでもそうであったように、チャーリーのガールフレンドであるエイミーを誘惑する。場所はクラブである。オリジナルでは、若者が沢山いるなかに一人、スーツに凄い肩パットのコートを着たオッサンが紛れ込んでいるだけで、物凄い違和感がある。
ところがリメイク版では、というか現代では、オッサンがクラブに紛れ込んでいても、若者とさして変わりのないファッションであり、Tシャツ姿のコリン・ファレルがティーンの女の子を誘惑していても、なんら違和感なく写るのである(「今思えばオリジナルで描かれていたのは、大人と子供の境界が今よりはっきりしていた時代だったのでは」とはフォロワーさんの弁)。
これは母親ジェーンを演じるトニ・コレットにしてもそうで、ジェーンはチャーリーにジェリーの印象を「イイ男ね」とほのめかすと「ちょっ…ママ!」「冗談よ!男には懲りてるわ」と返すやりとりがあったりする。オリジナル版の母親にはジェリーを「男」という目線で見ている描写は全くない。リメイク版では、ジェリーがポーチでいうように母親を「女」として見ているし、仮に冗談にしても母親が隣人を「男」として見ている。そうした狭間に立つチャーリーは、まさに現代の郊外に暮らす、悩めるティーンエイジャーなのだ。
6.ホラー映画が何を切り取るか
これだけ章を立てて色々書いてみると、なんだか大傑作のようにも思えるが、実は「後もう一歩」という印象がなくもない。それはやはり、こうして挙げた要素をもっとネチネチとやっても良かったはずなのだが、いまいち押しが弱く、ある種の淡泊さも目立つ。そこがリメイク版「フラトナイト」の弱点と言える。
挙げる例があまり適切ではないかも知れないが、例えばウェス・クレイブンの「壁の中に誰かがいる」などは、郊外映画としても観ることができるし、そうした事情を全く理解していなくても「トチ狂った都市伝説ホラー」として十分楽しむことができる。
リメイク版「フライトナイト」の監督である、クレイグ・ギレスピーのフィルモグラフィーを見ると、郊外というテーマにある種のオブセッションを抱いているように思えるし、監督三作目としては十分に合格点をあげられる内容だったと思うので、このままこの路線で邁進して頂ければと思う。期待してます。
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*1:ちなみにこの名前はピーター・カッシングとヴィンセント・プライスのファーストネームをくっつけた芸名