原題は“ウンコバエ”「息もできない」

人が仕事を選ぶ以前に、仕事が人を選ぶ、という状況がある。
以前、飲食店でアルバイトをしていた頃の話。この店は、オフィスビルに囲まれた場所にあって、平日の昼はまさに「戦場」であった。私は、厨房とホールを担当していたが、慣れない頃は「どうして皆、こんなにテキパキ動けるんだろう…?」ということが不思議で仕方がなかったが、それも慣れていく内にわかった。要するに、身体で覚えるしかないのである。何番と何番のオーダーはもう出ていて、何番のオーダーはまだ(いま厨房で作っている)、何番がレジに行った→レジには○○さんがいるから大丈夫、あ、客が入ってきた、イチニサン…四人!人数分のお冷とお絞りを持って…「いらっしゃませー」・・・といった具合に、ひたすらこの繰り返しである。頭で考えている暇なんかない。お世辞にも運動神経が良いとは言えない私は、ことあるごとに「ええっと次は…」と固まってしまい、よく「レジ行って!」「何番帰ったよ!下げて!」などとドヤされた。後で知って驚くのだが、ホールの中心となって指示を出す数名の女性は皆、中・高・大で陸上やバスケ、バレーやテニス、といった運動部に所属していたのである。
また別の飲食店の話。この店で自分は、主に厨房を担当していて、その日の終わり(シメの作業として)に厨房の掃除もした。タイル張りの床を、ホースで水をまきつつデッキブラシでゴシゴシやるのだが、この店は衛生管理が適度にアレだったので、黒光りの憎いヤツ:G様がよく現れたりした。まぁ飲食店の中で働いたことのある人なら、ある程度は珍しくない光景だろうが、冷蔵庫の下などに向けてホースで放水すると、瀕死の黒光りのアイツらがポロポロと流れてくるのである。最初のうちは「げー…」と思ったが、慣れとは恐ろしいもので、その内に「おっ、今日は全然いないなぁ。秋だねぇ」などと呑気に思うようになった。
「息もできない」は、まさにこの二つの事象を描いた映画と言える。
その仕事に集まってくる人々と、その仕事への適正と、そして仕事上の特殊な環境に対する感覚の麻痺。その「仕事」とはヤクザであり、「特殊な環境」とは仕事と称して振舞われる顧客への「暴力」がごくごく日常的な世界のこと。
当然、飲食店での上記したような事柄は、普通であるかもしれないが、借金を返せない人間に対して暴力を行使して恫喝し、それを生業とすることは、普通とは言えないだろう。そもそも、どういうきっかけで「ヤクザ」という仕事に就くようになったのか?家庭環境になにかあったのか?「息もできない」で描かれるのは、現行の暴力と、そこから遡る暴力のルーツである。そして、そこへ流れ着くぐらいしか選択肢を考えられなかった主人公:サンフンと、彼と交流を深める女子高生:ヨニの悲恋の物語でもある。
暴力がシステムの一部:業務の一環として組み込まれている場合、それが暴発してしまったときの「揺れ」の相当のもので、最悪のケースとして人死にが出たりする。その連鎖は果てしなく、ゾッとするような「次世代はもっとエグい」という仄めかし(ブラジルのゲットーを描いた傑作「シティ・オブ・ゴッド」と同様の)を提示しつつ、「息もできない」は幕を閉じる。エンドロールで流れる感傷的なギターインストはさながら、そうして命を落としていった者たちへの鎮魂歌である。
註:原題のタイトルは「ドンパリ」→「ウンコバエ」という意味の言葉で、劇中で主人公の口から連呼される「シバルロマ〜!」は、「マンコする奴」といった意味だそうです。

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