キャッチ&リリース「悪魔を見た」

残忍な連続殺人犯ギョンチョル(チェ・ミンシク)に婚約者を惨殺された国家情報院捜査官スヒョン(イ・ビョンホン)。復しゅうの鬼と化したスヒョンは、犯人に婚約者と同じ苦しみを与えるべく、執ようなまでに追いつめていく。
 〜映画.com「悪魔を見た」ストーリーより

「悪魔を見た」では、三つのタイプの暴力が描かれる。
1つ目は「強者が弱者に振るう暴力」。
これは文字通り、殺人鬼:ギョンチョルが、犠牲者となる女性達に振るう暴力である。冒頭から序盤は、この1つ目の暴力が執拗に描かれる。作品の自己紹介のようなものだ。
しかし、2つ目の暴力が何かはっきりする時、この映画はちょっとしたツイストを見せる。2つ目の暴力とは「暴力を振るわれると思っていない者に振るわれる容赦ない暴力」である。
以下に、粉川哲夫氏の「コラテラル」の感想を引用してみよう。

この映画で、トム・クルーズが、彼の殺し計画の資料が入ったカバンをたまたま奪った街のチンピラをまたたくまに撃ち殺してしまうシーンに「スカッと」しなかった者がいるだろうか? 戦争が起きていなくても、人は、心のなかに殺意をいだいている。というのも、競争をあおる社会に生きているわれわれは、どのみち潜在的な「殺し屋」だからだ。つい先ごろも、われわれは、アテネ・オリンピッククの報道を通じて、「愛国主義者」にさせられ、他国の選手を「殺す」「殺し屋」にさせられたばかりだ。「北島勝て!」と声援することは、潜在的に「ブレンダン死ね!」、「北島よ、ブレンダンを殺してくれ!」と言うことなのだ。
粉川哲夫シネマノート「コラテラル」より

婚約者を無残に殺されたスヒョンは、ギョンチョルに覚られないように近づき、壮絶な復讐を開始する。いままで獲物を追う側だった殺人鬼ギョンチョルにとっては「まさか自分が獲物に、追われる側に回るなんて」と、思ってもみない不意打ちとなる。ここでの観客は、おそらくはそのほとんどが、スヒョン側に肩入れをして成り行きを見守っているはずである。やれ、あのサイコをブッ殺せ、と。
だが、ここでスヒョンは、ギョンチョルにはとどめを刺さない。彼は、ギョンチョルを泳がせ、監視し、再び女性に危害を加えようとするその直前で制裁を加える、という行動に出る。いわば「寸止め」である。
詳細は省くが、その後ギョンチョルがスヒョンではない、とある「ならず者二人組」に襲われるシーンがあり、ここでは彼が「暴力を振るわれると思っていない者」に牙を剥く。この構図は、上記引用した「コラテラル」の状況とまるで同じで、今度は観客はおそらくギョンチョル側に肩入れし「あのゴロツキどもをブッ殺せ!」と願うはずである。
中盤から終盤にかけては、ギョンチョルの協力者であるテジュ(チェ・ムソン)という男をも巻き込んで、更に混沌とした状況を呈していく。そうして露わになっていくのが3つ目の暴力。「力が同等な者同士がぶつけ合う、果てしのない暴力」である。
映画では数回にわたり、あるカットを象徴的に捉えている。それは、ギョンチョルがゆっくりと振り向くカットである。あるカットでは狩りをする獣が獲物の気配を感じた時のように。そして別のカットでは、捕食動物が自分と同じ種類の捕食動物の気配を感じた時のように。
スヒョンは物語を通して、ギョンチョルに負けずとも劣らない「怪物」に成長していく。終盤、スヒョンが冒頭のギョンチョルと同じように煙草を吸うとき、観客は新たな怪物と対面し、スヒョンが最後に取った行動に「恨」の伝播の完成を見るのである。


追記:ギョンチョル演じるチェ・ミンシクの髪型(上記画像参照)は、おそらく「ケープ・フィアー」で弁護士に復讐するマックス・ケイディを演じたロバート・デ・ニーロへのオマージュであろう。