子ども:フルスロットル「マイマイ新子と千年の魔法」


最近、訳あって、母子家庭について調べたり考えたりすることがありました。
自分を育ててくれた両親というのは、離婚などとは縁遠く、60を過ぎて二人きりで韓国に旅行に行ったりするぐらいにはイチャイチャしていて、そもそも子どもをこんな風に育てようとするちょっとアレな両親なので、そういう家庭的な不協和音などは体験したことがありません。
死別ではなく、お互いピンピンしているのに、父親ないし母親が家を出ていってしまう状況というものは、どういうものなのか?コレっぽっちも受け入れたくない状況が、受け入れざるを得ない状況として自分の身に降りかかってきたら、その子どもは一体、どういう行動に出るのか?
「マイマイ新子と千年の魔法」を見たとき、正直に言えば、前半部分で「どうして皆があれほど大絶賛するのか?」がいまいちピンときませんでした。
確かに良い話であるとは思いました。同じ時代を生きてはいないのに共感できる、普遍的な「少年/少女時代」の物語が巧みに展開されていき、自分でも「上手いなァ」と思いながら、感銘を受けるというほどではありませんでした。
ところがこの作品には、中盤〜終盤にかけて、登場人物のある子どもに「受け入れたくない状況が、受け入れざるを得ない状況として、その身に降りかかってくる」という展開があって、思わず座席にうずめていたその身を正してしまいました。そして、その状況をどうやって打破するのかと言えば、とても打破とは言えない形で、ヤケクソになってそれを乗り越えようとするのです。
明らかにキャパシティを超えた苦難が降りかかってきたときに、子どもとしては無駄と解っているのかいないなのか、必死になって、全身全霊でそれを克服しようとする。その真っ直ぐな有様があまりに痛々しく、そしてどうしようもなく滑稽で、気が付くと笑いながらボロボロと泣いている自分がいたのでした。

恋するベーカリーは、「恋する」も「ベーカリー」も、どちらかというと添え物で、一度結婚に失敗した中年独身女性の苦悩を、主人公と同世代の女性監督がコメディタッチで綴った、ラブコメの佳作といった作品でした(原題は「It's Complicated」)。

この作品でも、主人公のベーカリー経営者:メリル・ストリープは前夫との間に三人の子どもをもうけていて、ひょんなことから復縁の話が水面下で進行し、子どもたち(今はそれぞれ独立していたりする)が困惑する、というシーンがありました。
「あんな思いをして別れたのに、またパパと一緒になろうなんて・・・!」と子どもたちはメリル・ストリープを責め、責められた彼女は反論の二の句が告げません。
それまで妙に大人ぶっていた子どもたちが、三人でひとつのベッドに寄り添い、母親と対峙するこのシーン。受け入れたくない状況を受け入れ、そして乗り越えた、その後の子どもたちのことを考えると、中々印象深いシーンでした。



*1:都内では4/2までシネマ・アンジェリカ、4/17からバウスシアターで公開を予定しているようです。