人生の輝きは桃の香り「刺さった男」


 自分の身体の一部に刺さった鉄の棒が、熱され、その熱が脳に伝わり悲鳴を上げる。これは一体どのような体験だろうか?長年映画を観てきてこのかた、これほど恐ろしい場面にお目にかかったことがないような気もする。

 アレックス・デ・ラ・イグレシアの2012年の監督作が、ラテンビート映画祭2012での公開*1を経て、「刺さった男」という下世話な邦題で、ようやく一般公開となった。主人公は失業中の中年広告マン:ロベルト(ホセ・モタ)。かつての同僚に「なんでも良いから仕事を貰えないか」と相談に出向くも邪険にされ、自暴自棄になって訪れた妻:ルイサ(サルマ・ハエック)との思い出の地で、ロベルトはとんでもない事故に巻き込まれる。

 簡単に状況を説明すると、遺跡の発掘現場で足を踏み外し転落してしまったロベルトの頭に鉄の棒が刺さり、身動きが取れなくなってしまう。意識もあり、手足の麻痺もない状態だが、頭に刺さった鉄の棒を引き抜けば出血多量で病院に着くまで持たない可能性があり、かといって大理石から伸びた棒を取り除くこともできない、という八方塞の状況に陥ってしまう。

 実話を元にした「キャプテン・フィリップス」で、自分が任務に赴く危険な海域の海賊のことより子供の進学やら学費の心配をする船長、という印象的な場面が冒頭にあったが、この「刺さった男」でも、ロベルトが気にかけているのは様々な経済的な問題である。失業中の身で子供たちの学費をどう捻出すれば良いか、今のみじめな生活を抜け出すにはどうすれば良いのか。悩みに囚われてしまったロベルトの、その妄執にも近い感覚。生きるか死ぬかの状況下にある人間までも追い立てる恐ろしい思考過程が、絶望的な状況とともに白日の下に晒される。

 「前に経験したことがある」という余裕は、正常な感覚を麻痺させ、状況判断を狂わせる。

 50階から飛びおりた男がいた。落ちながら彼は確かめ続けた。

 「ここまでは大丈夫」

 「ここまでは大丈夫」

 「ここまでは大丈夫」

 だが大事なのは落下ではなく、着地だ。

 上記はマチュー・カソヴィッツ監督の「憎しみ」の冒頭で綴れらる言葉である。「刺さった男」のロベルトが、生死の境目にいるにも関わらず、「ここまでは大丈夫」と、自分の状況を見世物的に広告代理店に売り込むのも、彼が慣れしたんだ広告業界における「大したことはない、こんなことは、いやもっとエグい売り方だってあった」という常軌を逸した感覚に起因していると言えるだろう。対照的に、ロベルトの妻、ルイサは、報道メディアからしたら「狂気」だが、一般市民にしてみれば「ごくごくまともな」ある願いを、「あなたを見込んで」と女性リポーターに託す。

 ルイサは医療関係者や報道関係者に「夫に尊厳を」と繰り返す。映画の最後に鎌首をもたげる、その「尊厳」を屁とも思わない狂気を、彼女は全身全霊で跳ね飛ばすが、それはおそらくこの映画を観た全ての観客の「祈り」でもある。




*1:ラテンビート公開時は「人生の輝き - La chispa de la vida」という原題に忠実なタイトルだった。