ダーガーだからこそ女の子をまもります!


ヘンリー・ダーガー 少女たちの戦いの物語−夢の楽園」と題された、原美術館で開催されているヘンリー・ダーガー展を観てきました。
まずは色々と思うところがあったので、早々にダーガーの人と成りをご紹介します(前回、2002年にワタリウム美術館で行われた個展の序文より抜粋)


1973年、シカゴ。身寄りのない81歳の老人が息を引き取った。彼が40年来住んでいたアパートの部屋には訪ねてくる人もいなかったという。アパートの大家は、老人の遺品を処分しようと、この雑然とした部屋に足を踏み入れ、大変なものを発見する。タイプライターで清書された1万5145ページの戦争物語『非現実の王国で』とそのために描かれた300余点の大判の挿絵だった。
ヘンリー・ダーガーは両親と死別し、幼年期をカソリック教会の孤児院で過ごしていた。そこで感情障害の徴候があらわれ、知的障害児の施設に移されたが、実際は精神遅滞ではなかった。重度の精神遅滞が多かったこの施設で、情緒的、知的に発達する機会を奪われたヘンリーは17歳のとき施設を脱走、病院の清掃人兼皿洗いとして働き始める。そして一人で暮らし始めた19歳のころ、彼は執筆を始め、物語がほぼ完成に近付いたころには、この長篇『非現実の王国で』を絵で図解してみようと決心する。美術教育とは無縁だった彼が考え出した手法は、ゴミ捨て場から宗教画、カレンダー、新聞や広告などを拾い、そこから夥しい数の女の子の絵を切り取り、ぬりえ風の太い輪郭線で女の子をトレーシングしていくことだった。トレースされた少女たちは裸体にされ、小さな男性器を加えられた。それぞれの人物イメージはコラージュされ、全体に彩色を施し、大きな画面へと構成されていった。


今回初めて、私は文字通り“生の”ダーガー作品に触れることができました。作品はそのほとんどが、横長の構図に、写真・新聞記事・雑誌・イラストなどを用いて人物や風景をトレースする手法で制作されていて、それが何に描かれているかといえば恐らく「画用紙(!)」です(何枚も貼り付けることで横長の構図にしている)。薄っぺらい画用紙の裏表に描かれているので、それぞれの作品が透けてしまっている。その辺りが何だかとても生々しく、なんとも言えない気持ちになりました
ダーガーの知名度は、00年代に入っても上がっていく一方で、今回の個展も非常に盛況といった感じでした。でもそこには形容しがたい「居心地の悪さ」が渦巻いていて、どうにもシックリこない。作品を全て観終わっても変化はありませんでした。確かに、どれも物凄く、圧倒的な作品ばかりだったのですが、とても「いや、素晴らしい!アナタも観たほうがイイですよ!」とは気安く薦められない。どうにも釈然としないので、もう少し彼のことを「知ろう」と思い、ミュージアムショップでちょうど個展に合わせたダーガー特集を組んでいる「美術手帖」を購入しました

美術手帖 2007年 05月号 [雑誌]

美術手帖 2007年 05月号 [雑誌]

以下、この釈然としなかった印象を解消してくれた、幾つかの箇所を抜粋します

年表より
1917年(25歳)
9月に徴兵され、テキサス州キャンプ・ローガンへ。基本訓練を受けた後、視覚障害などの医学的理由から12月に除隊され、屈辱を覚える

ダーガーの作品には戦争によって虐殺された少女のイメージが度々登場しますが(今回の展示には残虐的な作品はほとんどなし)、改めて「ホントに戦争行きたかったんだ…」と思いました。やっぱりホンモノの人は、思い詰め方も本気(マジ)なんですね。デ・パルマの初期作「グリーティングス」での「極右で頭がアレな人を装えば兵役も免除されるはず!」っていうショートコントを思い出しました。

1910〜1920年代(18〜28歳)
この時代のある時点で、生涯で唯一うちとけた友人、ウィリアム・シュローダーに出会う。彼とヘンリーは、「子供たちを守護する会」の代表者「ジェミニ」だった(現実世界での会員は彼らだけだったが、『王国』の中では多数同士がいた)。


1929〜1930年(37歳)
女の子の養子を取ろうと神父に相談するが挫折。「自分には養子を与える価値がないと思っているのか」と神に問いかけ、何らかの理由で「拒まれた/阻まれた」と感じていたヘンリーによれば、養子縁組の願いは軍に在籍中に芽生え、この後も長年続いた。

えーーー!やっぱりホンモノじゃん!特に後者はヤバイ。もう過去の出来事ですが、「If・・・」という可能性に想いを巡らせてドキドキしてしまいました。まぁ、こういう人って意外に順応かつマトモに子育て出来ちゃって良いお父さんになってしまう事もあったかもしれませんが…それにしても…ねぇ?ちょっと怖すぎます。私は「アイ・アム・サム」ってギャスパー・ノエなんかと同じ括りにされるべき作品だと思うんですが、そのヤバさを軽々と越えてしまうヤバさがあります。
かくして、「ダーガー=やっぱりホンモノ」という像がより強固になりつつ読み進めて行く中、最後に斎藤環氏が「われわれが経験しているものは、ダーガーの作品というより『ダーガーそのもの』なのではないか…?」と、物凄く腑に落ちることを記し特集を締めくくっていたので、思わず膝を打ちました。

表現が「症状」にしかなりえないこと、その意味で表現が実存に先行してしまうこと、それが私による「アウトサイダー・アート」の定義だ。
彼らにとっては、「作品の批評」が「存在の批評」になりかねない。そうだとすれば、われわれには常に「批評」の手前で立ち止まるだけの公正さが求められるのではないだろうか?
(略)
〜アウトサイダーを語るものは、すべからく彼らとの「個人的関係」を語るべきなのだ。いかにみずからが彼らに「転移」し、その転移感情がいかなる「症状」をもたらしたのか。
われわれはいわば、アウトサイダーを語りながら、常に「守秘義務違反」をおかしているようなものだ。ならばせめて、みずからのプライバシーを多少なりとも晒すのがスジというものだろう。もちろん、それで何かが免責されるという保証は一切ない。しかし倫理とは、常に保証抜きでなされる実践のことを指すのではなかったか。
(続く)
斎藤環 「ダーガー・ゲームのマトリクス」より

かなり力の入った、読み応えのあるダーガー評ですので、ファンの方には是非一読をお薦めします。
ヘンリー・ダーガーの作品が、多くの人々に知れ渡る事。それは果たして本人が望んだ事だったのか?それとも、本当に閉じた世界で、ウィリアム・シュローダーのように理解を示す、ごく少数の限られた人々に愛でられる事を望んだのか?その答えは永遠に出ないままですが、現在でもドキュメンタリー*1や映画*2という形で、彼の数奇な人生を紐解く作業が続いているようです


HENRY DARGER:A STORY OF GIRLS AT WAR-OF PARADISES DREAMED
ヘンリー・ダーガー 少女たちの戦いの物語−夢の楽園
2007年4月14日[土]〜7月16日[月・祝]
原美術館 http://www.haramuseum.or.jp/




*1:http://www.amazon.co.jp/Realms-Unreal-Ws-Dol/dp/B00094ARX2/ ※リージョン1です

*2:エドワード・ズウィック(!)による伝記映画の企画が進行中とのこと