THE ART OF SHREDDING 〜非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎〜

非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎を観ました(@チネチッタ)。

昨年のダーガー展の際に購入した、ダーガー特集の美術手帳をすでに読んでいたので、それを踏まえると正直少し物足りないかな、という感じがしたのですが、逆に言えば、ヘンリー・ダーガーというアーティストの人となりを知ってもらう窓口としては程良いドキュメントなのかな、という感じもします。
昨年のダーガー展を見に行って、私は以下のような疑問を抱きましたが、

ヘンリー・ダーガーの作品が、多くの人々に知れ渡る事。それは果たして本人が望んだ事だったのか?それとも、本当に閉じた世界で、ウィリアム・シュローダー(ダーガーが心を開いていた唯一の友人)のように理解を示す、ごく少数の限られた人々に愛でられる事を望んだのか?その答えは永遠に出ないままですが、現在でもドキュメンタリーや映画という形で、彼の数奇な人生を紐解く作業が続いているようです。

それに対する答えが少し見えたような気がしました。
晩年、奇しくも彼の父親が息を引き取ったのと同じシカゴの救貧院で、彼を見舞う人たちがダーガー本人にこう告げます。
「君の部屋の作品を見たよ。素晴らしい作品じゃないか」
するとダーガーは不意打ちを喰らったかのようにギョッとして、ちょっと面食らったように白目になった後、こう繰り返したそうです。

「It's too late...It's too late.」
この言葉から窺える彼の心情とはいかなるものだったのか?「もう手遅れだ」と呟くからには、やはりいつか誰かが自分の作品に正統な評価を下し、この掃き溜めのような極貧生活から救い出してくれくれるのではないか。そう夢想していたような気がします。ありとあらゆる新聞や雑誌を読み漁り、それを作品に反映していたダーガーにとって、世間に認められたアーティストというものがどんな生活を送っているかは理解していたであろうし、トレースやコラージュ、コピーといった技術革新は彼なりの「大衆に受け入れられることを想定した、その為のスキルアップ」であり、そこへ辿り着くための努力であったはず。ただ、極度にコミュニケーション能力が低いため、自分や作品を売り込むという概念が頭になく、ただただ溢れ出るイマジネーションを彼のメイン画材であった画用紙(!)に叩き付けるしかなかったのではないでしょうか。

劇中、ダーガーの制作行為に対して「金持ちがやれば“風変わりな道楽”だが、貧乏人がやれば“狂気の沙汰”」というような例えをしているのが非常に印象的でした。

美術手帖 2007年 05月号 [雑誌]

美術手帖 2007年 05月号 [雑誌]