エリ子の想い出


期待が大きかった分、ミッシー・エリオットには失望していた。


サウンド面ではない、体系の面でだ。デビュー当時、彼女はもっと「ふくよか」だった。「Rain (Supa Dupa Fly)」「Sock It 2 Me」辺りのPVには本当に興奮した。
これまで僕が自然と手を伸ばしてきたアルバムと言えば・・・
People Like Us ママス&パパスとか Success ウェザー・ガールズとか
ザ・グレイテスト ウィルソン・フィリップスとか トゥデイ ヒックスヴィルとか
振り返ってみれば、僕が欲する音楽には必ずふくよかな女性がいた。その事実に気付いたのは20代に入ってからだった。そう、僕は、ふくよかな女性が好きで、そんな僕がミッシーに行きつくのは必然だったように思う。
話を少し前に戻そう。僕がミッシーに失望を抱いた、それは「アンダー・コンストラクション」でスリムになって現れた時だ。あの時の失望。「Work It」のPVを観た時の失望。自分が抱いた失望とは対照的に、そんな彼女に「細い」「綺麗になった」などという、賞賛の言葉が沢山浴びせられた。
アホか、と僕は思った。ミッシーは太っていてもビックリするぐらいの美人だったっつーの。
世の中を覆う定型の「美」。話題に上っては消える幾多のダイエット。「細い、痩せている」ことに対しては羨望の眼差しが集まるのに、「太っている」ことに対しては蔑みや嘲笑すら浴びせられもする。僕から言わせてもらえば、全く理解の範疇を越えていた。
彼女と出会ったのはボートの上だった
都内の閑静な住宅地に、そのミニシアターはあった。いわゆる単館系の作品を上映しながら、たまに特集上映なども組むような映画館。すぐ近くに美術系の大学があったからか、館内はいつも学生風の若い観客達で賑わっていた。一番近くの私鉄の駅からその映画館まで、歩くと30分弱の時間を要するのだが、それは映画館のすぐ向かいに存在する公園の広大な敷地を、グルッと回り道をしなければならないからであった。だが、ショートカットを取る方法もあった。公園の3分の2を占める池を縦断すれば、15分は短縮できるのである。
その日、僕は上映時間に間に合わないと思い、ボートでのショートカットを試みようとした。ボートは全て出払っていて、一艘だけ残ったスワンボートも船着場から出発しようとしていた。僕は走り、二人乗りのスワンボートに一人しか乗っていないこと確認して、その白鳥のピンと跳ねた羽の辺りを叩いて「スイマセン!」と声を掛けた。
ボートの女性は一瞬ビクッとし、僕を見て、ペダルを漕ぐのを止めた。彼女はふくよかだった。太っていた。そして、驚く事に、デビュー当時のミッシー・エリオットにそっくりだった。そして、彼女が着ているTシャツを見て、何ともいえない感情が込み上げてきたのを今でもよく憶えている。彼女が着ているTシャツの胸元には、ファット・ボーイズのロゴが誇らしげに踊っていた。

「もしかして『突撃ヘルパー』を観に行くんですか?」
彼女はキョトンとしながら肯いた。その時、映画館では「ワイルド・スタイル」「クラッシュ・グルーヴ」「タファー・ザン・レザー」という、オールドスクール映画のラインナップが組まれていて、最終日を飾るのが「ファット・ボーイズの突撃ヘルパー」だった。
「もし良かったら、ボートに乗せてもらえますか?貸しボート代は僕が払いますから」
突然見ず知らずの人間にこんな図々しい頼みごとをされれれば嫌な顔をするのが当然だろうが、彼女は顔色一つ変えず「どうぞ」とあっさり受け入れた。そして、二人でペダルを漕ぎ出した。しばらくは無言でペダルを漕ぎ続けたが、しばらくして彼女が沈黙に耐えかねなくなったからか、「ヤダ、白鳥が傾いてるわ」と切り出し、その後すぐにブハハハ!と、文字通り「BUHAHAHAHA」と豪快に笑い出した。僕はすっかり彼女の虜となった(以下、彼女の事を「エリ子」と呼ぶことにする)
それから何度かデートを重ねた後、エリ子と付き合うようになった。お互い学生で一人暮らしだったため、お互いの家を行き来し、半同棲のような暮らしがしばらく続いた。充実した日々だった
だがそれも長くは続かなかった。彼女が痩せ始めたからだ。
きっかけはあるテレビ番組だった。暮らしのお役立ち情報をメインに紹介している番組で「納豆で痩せる」というダイエットを特集していた。いつもはこの手のダイエットを紹介する番組が放送していると真っ先にチャンネルを変えるエリ子だったが、この日は珍しく画面を食い入るように見つめていた。
「痩せたいの?」僕は微笑みながら彼女に問い掛けた。するとエリ子は急に我にかえった様に僕の方を見つめ「ヤダ!そんなわけないじゃない!」といった後、僕の二の腕を力強くバチンと叩き、またブハハと豪快に笑った。僕はこの笑い方が本当に好きだった。だが、その日から、エリ子は納豆しか食べなくなった。
それから一ヶ月が過ぎようとする頃、その情報番組が幾多の虚偽情報を紹介していたことが判明した。エリ子は相変わらず主食に納豆を食べ続け、そして驚く事に急激に痩せていった。僕は「あの番組はウソだったんだ。納豆なんて食べても痩せないんだよ?」と何度も彼女に言った。だが彼女は納豆を食べ続けることを止めなかった。そして痩せていった。僕は悟った。これがプラシーボ効果か、と。
彼女は痩せて、どんどん綺麗になっていった。そう、あくまでも、痩身に美を見出そうとする「世間的」にだ。僕はといえば、どんどん彼女から興味を失っていった。この感覚を、僕は心のどこかで憶えていた。そう、「アンダー・コンストラクション」でスリムな身体でシーンに舞い戻ったミッシー・エリオットを思い出していた。そしてある晩、僕は決定的な別れを意識することとなった。エリ子に何をされようが、勃たなくなってしまったのである。
エリ子の大学には高校時代の友人がいて、僕と別れた後の彼女が、いかにキャンパスの華となっていったかを克明に聞かされる羽目となった。ミスキャンパスにも選ばれたそうだ。その年の学園祭での写真も見せて貰った。仰々しいマントを羽織り、ティアラを頭にのせたエリ子。確かに美しかったが、もうかつて僕が愛したふくよかなエリ子ではなかった。顎のしたに手を当てようが、そこにはもうあのタプタプとした手触りは存在しない。ビックリするほど柔らかな二の腕の、もうそこには存在しないのだ。
僕は一人部屋に取り残された。エリ子の為に補強したベッドは、僕が一人で寝転んだ所で、ギシリと音もひとつ立てなくなった。ベッドには、以前ブログのキャンペーンでeo光さん、ストーンパレット欲しい!と書いて当選したストーンパレットが転がっていた。エリ子はその虹色の光が好きだった。僕は今、一人でそのパレットを開け、部屋を暗くし、壁に虹の光を反射させた。とたんにいてもたってもいられなくなってきた。エリ子に会いたい。あの頃の、出会った頃のエリ子に。
僕はパソコンを立ち上げ、YouTubeに辿り着き、矢継ぎ早にキーボードを打ち、「Search」を選びエンターキーを押した