振り向けば笹野高史 〜武士の一分〜
「武士の一分」を観ました(@チネチッタ)。
2007年の映画始め。率直に面白かったです。映画の感想は以下の「マトモ亭の一分」を読めば充分な気がしますが、自分の感想も少々。
『木村拓哉が見事に貧乏武士を演じている』っていう評価を聞いたコトもあるけど、それはちょっと違うよなぁ・・・と思ったっす。木村拓哉が演じる人物は、自分の仕事について非常に客観視をしていて、自分の仕事にバカらしささえ感じているし、本当は剣術道場を開きたいと思っている。しかも、侍の子だけでなく、農民の子も町民の子も分け隔てなく、その上、お仕着せの型にはまった教え方ではなく、一人一人の個性にあった教え方をしたいとまで考えていて・・・つまるところ、心性は、ほとんど現代人だとワスには思えて、木村拓哉が演じたのは、侍社会に迷いこんだ現代青年だったんじゃないかと・・・
「お芝居をしてないかのような“自然さ”が、(台詞っぽさを拒否した)砕けた感じで喋る事によって成り立つ」という信念の元に芝居を志している若い役者って結構多いと思うのですけど、「武士の一分」で福島弁(?)を与えられた木村拓哉の場合、そうした“自分なりの自然さ”をする余裕がなくなって、結果的にその方言が芝居として功を奏していたように感じました。
今回が映画初主演となる檀れいも素晴らしく、時代劇でお芝居をする際に、これまた宝塚というバックグラウンドが功を奏していたように思えます。
桃井かおりは小津安二郎の映画で杉村春子大先生が毎回演じていたようなヒール役。山田洋次は小津シンパの人なので、この起用には「なるほど」と思いました。暑い最中での親族会議の白々しさなどは明らかに「東京物語」でしょう。
そして何と言っても素晴らしいのが笹野高史演じる中間。彼がいたるところで孫の手を差し出してくれます。緒形拳よりも笹野高史から学ぶものが沢山あったのなら、木村拓哉は役者として更なる飛躍を期待できるのではないか?と勘繰ってしまいました。
某番組の映画を評するコーナー「月1ナントカ」で、かつて婦人警官を轢き逃げしようとした人が「これは日本人の映画、美しい“日本人の一分”。外国の人たちに気安く解ってもらいたくない、いや理解してもらえなくて結構!」みたいな事を言っていましたが、階級制度がある国/階級制度を知っている国の人なら、誰でも充分に理解できるオーソドックスな話です。