2014年公開作品ベスト10&その他


1. 『刺さった男』感想
2. 『ニード・フォー・スピード』
3. 『ショート・ターム』
4. 『GODZILLA』感想
5. 『あなたを抱きしめる日まで』感想

6. 『大統領の執事の涙』
7. 『ゴーン・ガール』感想
8. 『ウルフ・オブ・ウォールストリート』感想
9. 『NO』
10. 『ある優しき殺人者の記録』

(感想を書けなかった作品の短評を以下に)
2. 『ニード・フォー・スピード』
 「ゲームが原作のカーレース映画」という共に疎いジャンル(言ってしまえば共に全然興味がない)にも関わらず、無茶苦茶興奮して二回も観に行ってしまった。もちろん見所は高級車だろうが惜しみなくガッツンガッツンぶっ壊すカーアクションにあるけど、チームで共闘物、いがみ合ってた男と女が「君でなければ」にまで到達する恋愛物としても非常にレベルが高い。ラミ・マレクのストリップは本年度ベストアクトと言って良い。日本ではほとんど話題にならなかった(まあ作品自体も悲しいことにそんなに話題になっていないが…)が、ラッパーのキッド・カディが非常に美味しい役で出ていたりもする。
3. 『ショート・ターム』
 ティーンエイジャーをケアする短期保護施設"ショート・ターム"を舞台にした作品で、常々こういう施設で働く人々のことを自分は「真の日陰の戦士」だと思っていたので、ちゃんとそういう人々に焦点を当てた作品になっていて非常に好感を持った。同監督の前作「アイ・アム・ノット・ヒップスター」も公開してください
6. 『大統領の執事の涙』
 ポスターのデザイン、そして「ONE QUIET VOICE CAN IGNITE A REVOLUTION」というコピーが何より雄弁に語ってはいるが、それより遥かに含みを持ったアメリカ史が「ホワイトハウスに仕えた黒人従者」の目線で語られる。圧巻。
9. 『NO』
 誰もが「変わらない」と思っていた、チリの独裁政権に終止符を打った選挙戦を描いた映画が、2014年の日本で公開され、そして何も学べなかったという点はよく憶えておこうと思う。
10. 『ある優しき殺人者の記録』
 14年は新旧合わせて170本の映画を観たが、終映後に唖然として思わず館内の反応を確認してしまったのはこの作品ぐらい。完全なアイデア勝利というか、映画の可能性を見せ付けられた。


 泣く泣く10本から落としたのはこちら↓

ニンフォマニアック vol.1&2(感想』 『ストックホルムでワルツを』 『イコライザー』 『LEGO(R)ムービー』 『インシディアス 第2章』 『グランドピアノ 狙われた黒鍵』 『ケープ・タウン』 『サボタージュ』 『そこのみにて光輝く』 『トム・アット・ザ・ファーム』 『とらわれて夏』 『ニューヨークの巴里夫』 『フランシス・ハ』 『ベイマックス』 『ラッシュ プライドと友情』 『ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う! 』 『渇き。』 『泣く男』 『新しき世界』 『西遊記 はじまりのはじまり』 『誰よりも狙われた男』

 旧作・映画祭/特集上映などでは以下の作品が印象的でした。

■旧作・リバイバル公開
『ルートヴィヒ』 『天国の門』 『恐怖の報酬(1953)』 『マイキー&ニッキー』 『ウィズネルと僕』

■映画祭・特集上映など
『MUD』(未体験ゾーンの映画たち2014)、『(秘)極楽紅弁天』『(秘)女郎市場』(特集「曽根中生伝説」)、『はなしかわって』(Hal is Back! Hartley)、『私のように美しい娘』『恋のエチュード』(「没後30年 フランソワ・トリュフォー映画祭」)

過去の年度別ベスト10



それではみなさん、良いお年を!

廃モールと冷めゆく愛「ゴーン・ガール」


※内容に触れています。
 妻:エイミー(ロザムンド・パイク)が失踪するその日の朝、夫:ニック(ベン・アフレック)が、わが町セントルイス州カーセッジを見渡すカットがある。そこでニックは、横断歩道を渡ろうとするホームレスの集団に目をやる。
 ニックは妹がきりもりするバーに寄り、それから自宅に帰ると、妻の姿がない。家には争った形跡が。警察に連絡し、取調べを受けるニックは「自分のことなんかより、うちの近所はホームレスも多いし、そっちを調べたらどうなんだ?」とそれとなく切り出す。
 警察側はあくまでもルーティンとして、かなり後回し気味に、ホームレスの溜り場になっているという閉鎖されたショッピングモールに向かう。ここでエイミーは密売人から銃を買っていたことが判明するのだが、このシーンの異様さに自分はちょっとした衝撃を受けた。

 入口からして不穏な空気が漂う廃モールに足を踏み入れると、かつては幾多の利用客で賑わっていたはずの華やかさは消え去り、只ひたすら暗く広大な洞窟のような空間が広がっている。刑事二人が懐中電灯を手に探索を開始すると、そこには無数の人影が蠢き、光をあてると皆そそくさとそこから立ち去るといった具合だ。まるで動物か昆虫のようである。この廃モールのシーンは、シーンとしては短く、妻エイミーが「夫に殺されるのではないか?と疑念に駆られ護身用の銃を買いに行った」という事実を裏付ける、それなりに重要なシーンではあるが、「密売人から裏が取れた」と刑事に捜査状況を語らせればそれで済んでしまうようなシーンでもある。ではフィンチャーはなぜこの異様なシーンをわざわざ入れたのか?
 原作は未読なので、この大場正明氏のレビューを読んで知ったことだが、この「ゴーン・ガール」のエイミーとニックが出会い結婚し蜜月を経て、そしてついには会話もなくなるような険悪な関係に陥るまでの五年という間に、おそらく2008年が含まれている、というのは原作の重要なテーマだったはずである。言うまでもなく、これまで様々な映画でも描かれてきたリーマン・ショックである。
 大場氏のレビューでもあるように、原作でニックとエイミーが出版系の仕事を相次いでクビになるのは「経済危機や電子書籍の隆盛」のせいとしているようだ。だが、映画版では(自分の聞き漏らしがなければ)電子書籍云々の話は具体的に出てこなかったように思うし、米経済破綻の話も、アメリカ国民であれば周知の事実としているからか、はっきりとした言及は同じようになかったはずだ。

 経済状況の危機、そして己や夫婦という関係の存在意義を改めて問わざるを得ないような状況で、何かプリミティブな力を以ってして自己改革を行う、というテーマであると、フィンチャーはすでに「ファイト・クラブ」でそれを取り上げている。よって「ゴーン・ガール」では、その「ファイト・クラブ」の変奏とでもいうべき形を用いて、上記したようなテーマに再度挑んでいるように思える。
 「ゴーン・ガール」で、妻と夫はそれぞれまったく異なる状況で危機に陥り、それぞれのやり方でその危機的状況を乗り越えるのだが、事件後のメンタル面での変化が面白い。完全に去勢されたようなニック(そのストレスを健気に吸い取る家猫)と、母親が自分をモデルに描いた児童小説(このおかげで劣等感を抱き続けた)のように文字通りやっと「アメイジング」な人間へと変貌を遂げることができたエイミー。

 夫による(腕力などを含む)妻の支配、というのはありふれた話だが、妻による完全な形での夫への支配が完成するには、これだけの手の込んだ背景や手間隙を要する、というサンプルとしても読み取れ、「ゴーン・ガール」は単なるミステリーとは一線を画している。そしてこれほどまでにミソジニーとミサンドリーのリトマス試験紙になるような映画もないと思うので、将来真剣に結婚を考えているようなカップル、あるいは長きに渡る結婚生活を考えている夫婦こそ、揃って観て感想を探るべき映画であるように思った。
■関連リンク

ゴーン・ガール 上 (小学館文庫)

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ゴーン・ガール 下 (小学館文庫)

ゴーン・ガール 下 (小学館文庫)

アニメ映画ベストテン

 今年もワッシュさんのベストテン企画に参加いたします。今回のお題はアニメ映画ベストテンです。そんなに熱心にアニメ作品を追ってはいないのですが、自分が印象に残っている作品を以下に10本ほどあげようと思います。順不同です。

■ピクサー作品

『カーズ』 (2006)
『ウォーリー』 (2008)
『カールじいさんの空飛ぶ家』 (2009)

 ピクサー作品は一応全作品鑑賞していて、その中から三本選んでみました。
 「カーズ」は車を擬人化した子供向けアニメと侮るなかれ、「州間高速の発達により時代に置き去りにされた、50年代に繁栄を極めた町の悲哀」みたいなことを大マジにやってます。もちろん、そんなことに興味がなくてもちゃんと「コミュニティの承認を得る若きアウトサイダーの物語」みたいな話としても鑑賞できるのがピクサーの凄い所だと思います。
 「ウォーリー」はディストピア物とファンタジー物を両輪に「子供でもわかる」作品に落とし込んでいて唖然とするんだけど、この映画におけるピクサーの攻めっぷりは尋常ではないし(特に人間が登場する後半)、以降も攻め続けてるのがちょっと信じられない(でも「カーズ2」でお茶を濁した)。
 「カールじいさん」も攻めてる映画ではあると思うけど、この映画は単純に目に麗しいデザインの洪水という感じで楽しい。犬!鳥!カールじいさんは四角い!

■王道とオルタナティヴ

『プリンセスと魔法のキス』 (2009)
『ザ・シンプソンズ MOVIE』 (2007)

 「プリンセスと魔法のキス」を王道と言い切ってしまうことに若干の抵抗があるけど、フルCGが当たり前になってしまった今こそ、ディズニーにはいつの日かまた手描きセルアニメの長編映画を製作していただきたいものです。鑑賞時の感想→異世界としてのサウスサイド「プリンセスと魔法のキス」
 「シンプソンズ」は映画版声優変更問題があって、オリジナル声優で映画版を鑑賞しよう!という有志の会の上映イベントで大平透先生と握手できたことが良い思い出です。

■国産アニメ

『ドラえもん のび太の魔界大冒険』 (1984)
『天空の城ラピュタ』 (1986)
『AKIRA』 (1988)

 「魔界大冒険」は鑑賞時10才とかで、のび太とドラえもんの石像が降って来る不気味で不穏な幕開けにドキドキしつつ、終盤でまたその冒頭に戻ってくる展開に驚愕しつつ興奮しながら観た記憶があります。
 「ラピュタ」冒頭からシータ奪還までの、異常としか思えないテンションのつるべ打ち。
 「AKIRA」はリップシンクに驚愕。芸能山城組の音楽にも驚愕。

■中東圏の豊かな表現

『ペルセポリス』(2007)
『戦場でワルツを』 (2008)

 「ペルセポリス」はイラン近代史を女性目線で描いた傑作。アイ・オブ・ザ・タイガー。
 「戦場でワルツを」はレバノン侵攻を「加害者目線」で描いた作品で、終盤は「サブラー・シャティーラ事件」に言及する。虚構と現実の境界がグニャリと歪むラストが圧倒的で言葉を失う。
 
 以上の10本でした。泣く泣くランク外にしたのはオリジナル版「チェブラーシカ」エイミー・アダムスが素晴らしい「魔法にかけられて→感想)」、ピクサーでは「Mr.インクレディブル」などでした。
 私が参加した、ワッシュさんの過去のベストテン企画は以下の通りです。
 
SF映画ベストテン (2013)
ホラー映画ベストテン (2012)
スポーツ映画ベストテン (2011)

ウォーリー [Blu-ray]

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プリンセスと魔法のキス ブルーレイ(本編DVD付) [Blu-ray]

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天空の城ラピュタ [Blu-ray]

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AKIRA 〈Blu-ray〉

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戦場でワルツを 完全版 [Blu-ray]

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ペルセポリス [DVD]

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人生の輝きは桃の香り「刺さった男」


 自分の身体の一部に刺さった鉄の棒が、熱され、その熱が脳に伝わり悲鳴を上げる。これは一体どのような体験だろうか?長年映画を観てきてこのかた、これほど恐ろしい場面にお目にかかったことがないような気もする。

 アレックス・デ・ラ・イグレシアの2012年の監督作が、ラテンビート映画祭2012での公開*1を経て、「刺さった男」という下世話な邦題で、ようやく一般公開となった。主人公は失業中の中年広告マン:ロベルト(ホセ・モタ)。かつての同僚に「なんでも良いから仕事を貰えないか」と相談に出向くも邪険にされ、自暴自棄になって訪れた妻:ルイサ(サルマ・ハエック)との思い出の地で、ロベルトはとんでもない事故に巻き込まれる。

 簡単に状況を説明すると、遺跡の発掘現場で足を踏み外し転落してしまったロベルトの頭に鉄の棒が刺さり、身動きが取れなくなってしまう。意識もあり、手足の麻痺もない状態だが、頭に刺さった鉄の棒を引き抜けば出血多量で病院に着くまで持たない可能性があり、かといって大理石から伸びた棒を取り除くこともできない、という八方塞の状況に陥ってしまう。

 実話を元にした「キャプテン・フィリップス」で、自分が任務に赴く危険な海域の海賊のことより子供の進学やら学費の心配をする船長、という印象的な場面が冒頭にあったが、この「刺さった男」でも、ロベルトが気にかけているのは様々な経済的な問題である。失業中の身で子供たちの学費をどう捻出すれば良いか、今のみじめな生活を抜け出すにはどうすれば良いのか。悩みに囚われてしまったロベルトの、その妄執にも近い感覚。生きるか死ぬかの状況下にある人間までも追い立てる恐ろしい思考過程が、絶望的な状況とともに白日の下に晒される。

 「前に経験したことがある」という余裕は、正常な感覚を麻痺させ、状況判断を狂わせる。

 50階から飛びおりた男がいた。落ちながら彼は確かめ続けた。

 「ここまでは大丈夫」

 「ここまでは大丈夫」

 「ここまでは大丈夫」

 だが大事なのは落下ではなく、着地だ。

 上記はマチュー・カソヴィッツ監督の「憎しみ」の冒頭で綴れらる言葉である。「刺さった男」のロベルトが、生死の境目にいるにも関わらず、「ここまでは大丈夫」と、自分の状況を見世物的に広告代理店に売り込むのも、彼が慣れしたんだ広告業界における「大したことはない、こんなことは、いやもっとエグい売り方だってあった」という常軌を逸した感覚に起因していると言えるだろう。対照的に、ロベルトの妻、ルイサは、報道メディアからしたら「狂気」だが、一般市民にしてみれば「ごくごくまともな」ある願いを、「あなたを見込んで」と女性リポーターに託す。

 ルイサは医療関係者や報道関係者に「夫に尊厳を」と繰り返す。映画の最後に鎌首をもたげる、その「尊厳」を屁とも思わない狂気を、彼女は全身全霊で跳ね飛ばすが、それはおそらくこの映画を観た全ての観客の「祈り」でもある。




*1:ラテンビート公開時は「人生の輝き - La chispa de la vida」という原題に忠実なタイトルだった。

堕ちるも沈まない女 『ニンフォマニアック Vol.1/Vol.2』


 映画でも小説でも、「堕ちていく女」の話は、「堕ちていく男」の話のそれより多いような気がするのは気のせいだろうか?
 ラース・フォン・トリアーの新作「ニンフォマニアック」はvol.1とvol.2からなる、合わせて4時間の大作である。性に奔放な女性:ジョー(シャルロット・ゲンズブール)は、酷い怪我を負った状態で道端に倒れている所を、通りがかった男:セリグマン(ステラン・スカルスガルド)に救われる。男は女を連れ帰り、女は男の介抱の傍ら「何故私がこんな目に遭わなければならなかったか?」と、その顛末を語り始める。まさに「堕ちていく女」の定型を体現しているかのような導入である。
 以前、「ラスト、コーション」を鑑賞したとき、「セックスは個人のブラックボックス的な最上位レイヤー」というような感想を書いたが、その「最上位レイヤー」を見ず知らずの他人に明け透けに語ってしまうということは、ある意味で無防備、またある意味では善人である。何人もの男と情事を重ねたと告白するジョーに対し、偏見を持たないセリグマンはその私設図書館たる膨大な知識を用いて「興味深い」「それは過去のこうした事象と重ねることができる」と決して否定しようとはしない(まぁ大方の予想通り彼はvol.2で判明する「あること」を黙っているのだが)。

 こうして限りなく正直な告白者と、限りなく偏見のない聞き手により、様々なシチュエイションの(幾つかは笑いをこらえきれないような)セックスコントが綴られていく前編(vol.1)と、性的不能に陥ってしまったジョーが如何にしてそれを取り戻したか、それにより生じる因果を巡り、まるでメロドラマのような展開を見せる後編(vol.2)、というのが、この「ニンフォマニアック:二部作」のだいたいの構造となっている。
 ちょうど「vol.2」を観終った翌日、トリュフォー映画祭で上映されていた「私のように美しい娘」を観る機会があったのだが、これが偶然にも「ニンフォマニアック」と同じような構造を持っている映画だったので興味深かった。

 フランソワ・トリュフォー、1972年の監督作「私のように美しい娘」は、女性の犯罪心理を研究する大学教授:スタニスラス(アンドレ・デュソリエ)が、ある囚人の女性:カミーユ(ベルナデット・ラフォン)にインタビューをするため、刑務所に通いつめる形で進行する。カミーユの男性遍歴をスラップスティックに戯画化し、艶物的なコメディとして「堕ちていく女」の悲劇性を緩和しているようにも思える。
 この「私のように美しい娘」のカミーユだけでなく、トリアーの出世作となった「奇跡の海」や、溝口健二の「浪華悲歌」でもマックス・オフェルスの「歴史は女で作られる」でも中島哲也の「嫌われ松子の一生」でもいいが、「堕ちていく女」の定型として、苦境を切り抜けるために「性を武器にする/せざるを得なくなる」という展開があるように思う。
 徹底的に冷めていて厭世的で「人間の特性は偽善」と切って捨てるジョーの場合は、「堕ちていく」過程で更に男に頼ったり自暴自棄になるではなく、「社会的適合性がない私は、裏稼業にでも就くしかない」と割り切って、新たな一歩を自ら踏み出す。その辺り、「ニンフォマニアック」に「堕ちていく女」の定型を打ち破る新しい何某かがあるように思える。
 「vol.2」の終盤には、その性に対する真摯さと奔放さゆえ、手放すことになってしまった息子との関係を、裏稼業に誘い込んだ若い娘に見出し、擬似親子/恋人のような関係を築いたりもする。更に成長したこの若い娘による「親殺し」のような展開も待ち受けていたりして、二部作は終結に向かって前記した「因果をめぐるメロドラマ」の様相を呈してくる。
 そして最後に待ち受ける、あの落語のようなオチ。賛否が分かれそうなところである。だが、男女の関係において、例えば四時間もかけた有意義な議論が一瞬にして崩壊するような場面を、おそらくは男性より女性の方が多く体験しているような気がするので、その徒労感を体感することができただけでも、二度に分けて劇場に通った甲斐はあったように思う。タイトルや監督の名前で拒否感を示す人もいるだろうが、是非ここは多くの女性の感想を聞いてみたいものである。

ラスト、コーション [Blu-ray]

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「バッドタイム」(監督:デヴィッド・エアー)


 近所のスーパーのワゴンセールで、廉価版が500円で売っていたため何の気なしに購入し鑑賞。が、これはちょっと今までスルーしていたのが勿体無いぐらいの異色作だったのでここに記しておく。
 映画は主人公のジム(クリスチャン・ベイル)が兵士としてアフガニスタンで夜間戦を繰り広げている回想シーンからスタートする。すぐに回想は終わり、メキシコで恋人に「嫌な夢を見た」と語りかける現在のシーンになるが、この冒頭でジムはPTSDの影響下にあることが示唆される。
 舞台はサウスセントラルに移り、親友のマイク(フレディ・ロドリゲス)とかなりベッタリ、もうウンザリするぐらいホモソーシャル臭ムンムンで、LAをブラブラと車で流すシーンへと突入する。ビールをガバガバ、クサをキメキメという具合に、このいい大人二人組の駄目な感じに嫌悪感を示す人も少なくないと思うが、その手の作品として若干毛色が違うとすれば、それは二人が求職中である、ということだろうか。この設定が以後の展開に面白いツイストを生み出すことになる。

 簡単に言ってしまえば、ジムにはFBIからのリクルートが舞い込むことになる。軍での経験を買われ、明らかに人間的に問題がある点に目を伏せ、コロンビア等の所謂「最前線」に捜査官として送り込もう、という目論見だ。このフェッズの真っ黒さには、合理的に考えれば決してありえない話ではないんだろうな…と想像してややゾッとした。
 終盤は、このオファーを受けるか否か、いや、ジムはその場で「やります」と即答するのだが、これから待ち受けるであろうハードな暮らしに、本当に俺は耐えられるのか……とった葛藤が綴られる。彼は自身のPTSD的傾向にも自覚があり、マイクやほかの友人たちにも「お前は戦争でおかしくなっちまった」と指摘される。
 華のFBIに就職すること。それは彼がなんとかして貧しい暮らしから抜け出し、メキシコに暮らす恋人と家庭を持つこと、というごく普通の願いを叶えるためのパスポートでもある。自らを奮い立たせ、コロンビア行きの決意を固めるジムだったが、恋人からあることを告げられ、彼のテンションはピークに達してPTSDの暴走が本格的に始まってしまう。

 これはイラク戦争以後を舞台に、真っ当な青春などなかった男たちの遅れてきた「アメリカン・グラフィティ」でもあると思う。ただ、そには一筋の光などは差さず、暗闇に残された者たちの後悔の念ばかりがしこりとして残るのである。

バッドタイム [DVD]

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※上記リンクのほかに、自分が購入した500円の廉価版がありますが、そちらはチャプターも特典も無ければ画質も悪いという代物なので、ご購入の際にはご注意を。

おうちへかえろう「GODZILLA ゴジラ」


 映画における残酷な描写の一つに「子供が死ぬ」という状況がある。主要なストーリーと関係なく、台詞もろくにないような子供が、例えば交通事故などで死んだとして、それはある種、三番手ぐらいの大人のキャラクターの死より鮮烈であったりする。
 怪獣映画というのは、日本が世界に誇るジャンルの一つであり、昨年で言えば「パシフィック・リム」のような作品が逆輸入的に製作〜公開され、日本でも大きな話題となった。監督のギレルモ・デル・トロ自身も「子供のために作った」というだけに、「パシフィック・リム」での芦田愛菜は死なない。KAIJUに襲われ相当に危ない目に遭うが、生き残って後に菊池凜子となり、でかいロボに搭乗してKAIJUと戦うのである。
 低予算の作品を一本撮っただけのギャレス・エドワーズが監督として大抜擢された「GODZILLA」でも、子供は死なない。原発事故を間近で目撃したり、親とはぐれて大怪獣と接近遭遇してしまったりするが、子供は死なないのである。
 そのエドワーズの監督デビュー作「モンスターズ/地球外生命体」は、決して子供向きの映画とは言えない。それは残酷な描写云々ではなく、大人の鑑賞に堪え得るドラマが描かれている、という意味である。そしてこの「モンスターズ」では、子供は無残にも死ぬ。それは避けられぬ運命である、とでもいうように、唐突に死は訪れる。

 そして「GODZILLA」において、エドワーズは「子供が死なない」要素に加え、驚くべき「ある重要な」要素も描いていた。

 「わたしがとても誇りに思っていることなのですが、主人公は軍の人ですよね。本作ではアメリカ国防総省の協力を得ているのですが、主人公は劇中で銃・兵器を使っていないんです。手に持ってはいるけど、発射はしていない。発射した人はみんな死ぬ。発射しなかった人だけが生き残るんです。これって潜在的なものかもしれないけど、ものすごくいい教訓じゃないかと思っています。でも、誰も気付いていないかもしれない。みんな気付くと思ってやったのですが(笑)」
“ゴジラ大好き”ギャレス・エドワーズ監督 公開後だから明かせる超マル秘裏話! - シネマトゥデイ

 私はこのインタビューを読んで(エドワーズが嘆くように)初めて気付いたのだが、もしかしたら感覚の鈍った大人より繊細さも敏感さも兼ね備えた子供なら、そんなことはとっくに気付いているかも知れない。まるで自然主義文学の登場人物のように、主人公は怪獣を存在しうる「自然の者」と認識し、危機的な状況においても常にフラットに行動する。

 「GODZILLA」での子供たちは、父(ブライアン・クランストン、アーロン・テイラー・ジョンソン)や母(ジュリエット・ビノシュ、エリザベス・オルセン)の、直接的ではない奮闘により守られていたりする。こうした要素が、実際に映画を鑑賞する子供たちに、どれほどの安心感を与えているか。それは今から数十年経った後、「ゴジラ」を一緒に鑑賞した、かつて子供だった大人に聞いてみると良いように思う。
■関連リンク




ギャレス・エドワーズがVFXを担当したという、広島原爆投下の再現ドキュメント

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