怖い人の不在


ブクマ等でも話題になっていたこのニュース。

まず「えー、こないだ綾瀬はるかでやったばっかりじゃん!企画被ってるから、とかボツにならないのかナァ…」という考えがまず頭をよぎったのですが、その次に思ったのが↑画像の人、故マイルス・デイヴィスの話。
数年前に潜り込んだ菊地成孔の東大ゼミで聞いた「70年代半ば、マイルスがドラッグでヘロヘロになってプチ引退*1したのと時同じくして、フュージョンが大流行した」という話。これはまさに「鬼の居ぬ間の洗濯」ではないですけど、ジャズの帝王と呼ばれたマイルスのように、シーンに存在しているだけで「無言の圧力」を発している怖い人が健在であったら、あんなに「スムースジャズ」「イージーリスニング」などと総称されるような音楽が、果たして大流行しただろうか?ということ。とても面白い仮説だと思いました。
今の邦画界にはもう、そういう「無言の圧力」を発しているような怖い人はいないんだろうな、と思ってしまいました。
自分は黒澤のシンパでもなんでもないし、権威主義でヤイヤイ言うのはとてもくだらない事だと思います。ですが、果たして黒澤が健在だったら、リメイク版「椿三十郎」のラストの決闘シーンの「ビデオ撮りっぽくスロウモーション」なんていう演出が成り立っていたか?「七人の侍」がパチンコになっていたか?同様に、勝新が健在だったら、こんなに次々と座頭市モノの企画が乱立するか、ということ。非常に疑問に思います。
周防正行が「Shall We Dance?」のオリジナル版をアメリカで上映しようという時に聞いたという、こんな話があります。アメリカで外国映画といえば、ビデオなどで流通する吹替え版が通例で、字幕の付いた映画を映画館に観に来るなんてほんの一部の映画ファンしかいない、という話す関係者。そこで周防氏は「だったら『Shall We Dance?』も吹替え版で公開したら良いのでは?」と提案したところ、「ごく一部であっても外国の映画を楽しみに待ってくれている外国映画ファンに対する侮辱となるので、それは絶対に出来ない」という答えが返ってきて、非常にショックを受けた、という話でした。
もし今後、邦画黄金期のクラシックがリメイクされ、例えばJっぽい人たちを起用して、絶対最低の出来なんであろうな、と誰もが予想した作品が、奇跡的に予想に反して素晴らしく、「全ての映画ファン必見!」というような出来の作品であっても、裏切られ続けた熱心な邦画ファンが、その時まで律儀にファンを続けてくれている保証など、どこにもないのです。
邦画好景気でジャンジャンバリバリ、と言われている昨今ですが、今の邦画界に一番必要なのは「その役者、その監督、その脚本家で、その企画は無茶。NO!」と言える勇気なのではないでしょうか。

来日したマイルスにインタビューを試みる若き日のタモさん。マイルスこえええぇぇええよ!
追記:反面、怖い人がいないと、こんな自由な映画も作られるという例↓




*1:81年に「The Man With The Horn」で復帰、画像は91年の遺作「Doo-Bop」