「モンスター」を観ました。

まず最初に、自分が最も恐ろしいと思った劇中の台詞を挙げてみます(以下うろ覚えですスミマセン…)
「ジャンキーや売春婦や黒人、こういう輩が報われないのは、彼ら(彼女ら)はいつだって選択を誤るから」
もう何と言うか、久々に映画を観て凍り付いてしまいました。この台詞はクリスティーナ・リッチ演じるセルビーの父親の友人、ガチのクリスチャンである中年のご婦人から発せられます。こういう台詞が平然と出てくるということは「何故体を売ってまでお金を稼ぐの?どうしてドラッグなんてやるの?何故おしゃべりばっかりしてまともに働かず盗みばかりするの?」という「理解出来ない」という所で思考がストップしてしまっている、ということなのでしょう。だから、この映画の主人公である、シャーリーズ・セロン演じる売春婦アイリーンが客をとって酷い目に遭おうが、以前見逃してくれた警官にブロウジョブを強要されようが、それは選択を誤った上の自業自得の「仕方のないこと」なのです。
こうした負の構図が「モンスター」には渦巻いています。ガール・ミーツ・ガール、出逢うべくして出逢ってしまったアイリーンとセルビーにしてもそうです。セルビーにとってはアイリーンでなくても良かった、しかしアイリーンにとってはセルビー以外には有り得なかった。「モンスター」はそうしたディスコミュにお互いが目をつぶり合う映画でもあります
この泥沼にアイリーンを巻き込むセルビーの「自覚の無さ」がちょっとハンパないです。セルビーは「何故売春を辞めちゃったの!?生活するお金はどうするの?!パーティーパーティーって言ってたくせに一度もそんなことしてくれないじゃない!!」と、一度は足を洗おうとしたフッカーの道にアイリーンをまた舞い戻らせます(セルビーを「わかったわかった」となだめる様に…)。そうしてアイリーンは行きずりの客に無理矢理「生きる価値ナシ!」と理由を見出し、殺害しては車や金品を奪う、という行為を繰り返します。id:maki-ryuさんはココでセルビーに対して「レズ主婦」という例えをしていらっしゃいますが、自分は「セルビー=思春期の娘、アイリーン=その娘に振り回されるお父さん(フッカーで小さな弟や妹を食わしていた、と語るシーンもあり)」といった構図に、セルビーが内包する「イノセンスの暗黒面」を観た思いでした。
それにしても、ラストに流れるJOURNEYの「DON'T STOP BELIEVIN'」の能天気さ、コレは一体どういうことなのでしょう?これはやはりこの映画が「アイリーン目線の、セルビーに対する切ないラヴストーリー」ということなのでしょうか?だとしたら、もう本当にやりきれない思いがします…。DVDを買って何度も反芻したい類の作品ではありませんが、一度は観る価値のある作品だと思います。