売春婦と呼ばないで「ガールフレンド・エクスペリエンス」


マクドナルドのトレイの上に敷いてある、「クルー募集!」といった内容の紙。
あの「クルー」という呼び方がとても引っかかる。なんかカッコ良い感じの呼び名ではあるが、ようはバイトである。
スティーブン・ソダーバーグの新作「ガールフレンド・エクスペリエンス」は、感触としてはまるで高級娼婦のブログでも読んでいるかのような不思議な映画となっている。そう考えれば、彼女:高級娼婦チェルシー(サーシャ・グレイ)が、下衆なエントリを期待している読者の期待には応えず、好き勝手に記しておきたい日常、大して面白可笑しいことが起きるわけでもない日常を、ヨガに行ったり買い物をしたり、そして売春をしたり、それらが同等に綴られていても全く違和感はないし物足りない感じもしない。性行為のレポートとなると、それはブログではなくエログ(もはや死語か)である。
印象的なのは、所謂一般的な「プロスティテューション」といった言葉は意識的に避けられ、「エスコート・サービス」という呼称が頻繁に登場すること。
新たに定義された言葉を用いて、機能しているシステムに一端乗せてしまうと、その仕事の特殊性(チェルシーの場合はエスコート料1時間2000ドルの売春婦)はドンドン薄れていってしまう。チェルシーの「エスコート嬢」としての勤勉さと、スポーツインストラクターという堅い仕事に就いている彼氏とを、上昇志向という共通項で並列に描いているのも、意図としては非常に明確(ドバイで行われる大乱交パーティに「スキルアップになるから!」とエージェント的な男に誘われたりする)。彼氏がチェルシーと口論をするシーンで、初めて「Hooker」と罵るのも、その特殊な商売を必ずしも良くは思っていないという表明として、彼の口から象徴的に発せられる。
彼女はその勤勉さゆえに、仕事で嫌な目に遭ったりもするが、仕事熱心なのですぐに忘れてしまう。そして、色々と「割り切る術」を知っているはずの理知的な人が、ビックリするぐらい陳腐なものに信仰を見出だしたりする(この映画の場合は変な占星術)。
プロのアスリートがそうであるように、性風俗に従事している人たちも、「一体いつまでこの仕事を続けられるのか?」といった事に対して不安を抱き、日々悩んだりもするだろう。
「ガールフレンド・エクスペリエンス」は、最古の職業と言われている「売春」に関する最新事情を記したレポートであり、その世界の住人である女性が、予め読まれることを想定しつつ自らの日常を綴った日記でもある。