♪はじめぇてじゃ〜なぁ〜いのさぁ〜

あーい、ふぃぃ〜る・・・こーーーーーく!!!


「SPUN スパン」を観ました。


これまでドラッグを扱った映画と言うと、ユーザー側の憂鬱(「トレインスポッティング」「レクイエム・フォー・ドリーム」「ラスベガスをやっつけろ!」)、取り締まる側の憂鬱(「NARC ナーク」「トラフィック」)、などを描いた作品がありましたが、この映画は「25時」に続き「提供側の憂鬱」を描いた作品ではないか?と思います。
この映画の提供側とはジョン・レグイザモ演じるプッシャーのスパイダーと、ミッキー・ローク演じるドラッグを精製・調合をするクック(役名もクック)の2人です。
スパイダーはアヴァンタイトルから強迫観念が服を着て歩き回っているような(でも常に半裸)オーバーアクトで登場し、プッシャーのノイローゼを解り易く提示して見せます。これを「光」とすると、製造者であるクックは「影」です。
クックはファーストシーンから口だけしか写らず、その後もテンガロンハットにより顔もろくに見えません。ところが、この映画の一応の主役だと思われるジェイソン・シュワルツマン演じるロスに出会い、彼をパシリにしての交流が始まってから表情も確認できるようになります。クックは恐らく「用法用量を守って、正しく使いましょう」というドラッグに呑まれてしまわない為の鉄則をわきまえている男でしょう。そして一見「自分と同じように節度をわきまえている」かのように見えるロスに、自分の彼女であるブリタニー・マーフィー演じるニッキーの送り迎えを頼み、駄賃としてコークを提供し、ポルノショップでポルノビデオに対する思い入れを語ります。これは明らかに理解者を求める故の行動なのではないでしょうか。
ところがロスもやはり他のジャンキーと同じで口先だけ。終始クールを装っていたクックがロスに対し「俺にウソをつくな!」と激憤したりします。こういった「はぁ〜・・・やっぱりコイツも他のヤツラと同じかぁ〜」といったクックのボヤキが、実はこの映画の本当のテーマではないか?と思えてきます(このボヤキを踏まえてラストカットを振り返ると非常に「泣き」です)。
ジェイソン・シュワルツマンブリタニー・マーフィー、ミーナ・スヴァーリといった若手スターや、ロブ・ハルフォード(多分一番偉い)やデボラ・ハリーやビリー・コーガンといったミュージシャン勢のカメオ出演、キマッた瞬間などのMTV的な編集といったポップな要素で客を呼び寄せ、ミッキー・ロークが体現する「枯れ」を利用し「提供側の嘆き」にスポットライトをあてて見せる。そこに監督のジョナス・アカーランド(ヨナスだろ?)の真意はあったのではないか?という気がするのです。

それはそうと、パンフ&チラシにコメントを寄せているサブカルくんサブカルちゃんたち。アナタ達の眼は、片方を白髭のオッサンに、もう片方を金髪の大女にえぐられてしまったようですね。救いようがない見当違いなコメントばかりでビックリしました。