世界を救うまであと4分 第二話「芽理沙」
第一話
「みんな今日は来てくれて本当にありがとう。それでは最後の曲です」
「えーーー」という予定調和のレスポンス。レスポンスというよりは、それは極めて動物的な反応で、最後の一曲を歌い終えるまでメリサは胸のムカツキを隠すのに必死だった。
飛堕理芽理沙(ひだりメリサ)。彼女はこの世に生を受けてわずか16年で、その二倍の数にあたる32年は生きてきたかのような波乱に満ちた人生を歩んできた。
その日は、メリサのセカンドツアーの最終日で、彼女を含め周りのスタッフも朝からピリピリと緊張していたが、その束縛からも解放され、これでやっと明日から学校に戻れる!と思いを馳せると、メリサの心は水面に新緑の葉が一枚落ちたときに出現した波紋が穏やかに拡がる様に、安らぎが満ちていくのを感じていた。
翌日。彼女は始業時間より一時間前にクラスに到着した。部活の朝連がある生徒のカバンがまばらに机に置いてはあったが、教室に人気は無かった。自分の荷物を置き、教室を出ようとしたその時、一人の男子生徒が擦れ違い様に教室に足を踏み入れた。海沢宗二だ。
背の丈はおよそ175cmほど、メリサよりほんの少し高い。青光りするような黒髪が印象的で、ブロンズ象のような顔の輪郭(特に頬骨が目を引く)を有する少年。少年と呼ぶには大分大人びた顔つきだ。
カイザワソウジ。メリサは心の中でそうつぶやいた。宗二はメリサなど存在しないかのような振りで教室に入ってくると、窓際の後ろの自分の席にカバンをバサッと置き、蚊の鳴くような声で「オハヨ」と呟いた。体が完全に教室の外に出てしまう直前のその刹那、メリサはそのか細い声を「確かに」聞き取り、体の動きを止めた。「おはよ」とだけ返すと、メリサはそのまま教室を後にした。
生徒の人数が減少し、今では空き教室の多い東棟の屋上。そこがメリサのアジトだった。
もうすぐこの敷地内に、とてつもない喧騒が訪れる。今日メリサが来てるぜ、えーマジでぇ、昨日アタシテレビで観たー、アタシも観た観た、なんだっけーホラメリサが今度出るっていうドラマぁ。それを考えると、心底ウンザリするメリサだったが、そうした喧騒に身を置きながらも耐える自分を客観視するのは楽しかった。
海沢宗二。何故アタシにあいさつを?彼については幾つかの噂を聞いたことがあった。ほとんど学校に来ない。家に引き篭もっている。いや駅前のレンタル屋でよく見掛ける。一人でボーリング場の1レーンを長時間借り切り、ピンをバカスカ倒していた。夜な夜なに学校に忍び込み、屋上でオナニーをしているらしい。
屋上とは、この東棟の屋上だろうか?この床の染みは、もしかしたら彼の…。メリサは、その染みを上履きのつま先で引き摺るようにしながら突っついてみた。そんなことを考えていると始業のベルが鳴り始めた。
せっかく昨日MP3プレイヤーに落とした「饅頭こわい」を聞こうと思ったのに、ソージのことを考えていたら時間が過ぎてしまった。軽く舌打ちをすると、メリサは屋上を後にした。