「ブラザーフッド」を観ました。

第二次大戦以降に作られた戦争映画というのは、提示の仕方こそ違えど「戦争ヤダ!」という視点に立った物がほとんどだと思います(某国の映画好きの将軍様の非常にプライベートな戦意高揚映画などを除き)。よって、戦争映画を撮る作家(監督)は、発表した作品において「何がどうイヤなのか?それをどう描くのか?」を問われる事となります。
私も第二次大戦以降の全ての戦争映画を観た訳ではないので明言は避けますが、恐らく多くの戦争映画において語られてきたのは大きく分けて「罪も無い市民が巻き込まれヒドイ目に遭う→イヤだ!」「兵士が戦地でヒドイ目に遭う→イヤだ!」の二種類に分類できるのではないかと思います。兵士なり市民なりが、どんなヒドイ目に遭うのか?それらの人々を通じて何を描くのか?「ブラザーフッド」では戦争よって変化していく兄弟の関係を過剰なドラマで描いています。
物語の前半は「心臓病の弟をかばう兄」という非常にオールドスクールかつベタ、さしたる「素敵なサムシング」も無く無難に展開して行きます。ところが「弟の除隊の為ならどんな危険な任務も進んで請負う兄」「そんな兄に違和感を覚え始める弟」という様相を呈し始める頃から物語の輪郭も徐々に浮かび上がってくる。そして死体に地雷を仕掛けるという北の非情な手口に「・・・アカ共ブッ殺す!!」と兄にスイッチが入る頃になると2人の確執もいよいよ深刻となり、ドラマは一気に加速、ゴロンゴロンと転がった末に怒涛のクライマックスへとなだれ込みます。
戦争をベースに過剰なドラマを描く、というと最近では「パール・ハーバー」などが記憶に新しい所です。「パール・ハーバー」で描かれていたのは「戦友の妻を愛してしまった」という他者との関係を「第二次大戦の幕開け」という大舞台で綴った壮大な昼メロでした。恋愛感情という物は人によって価値観が千差万別です。よってこの作品の意見が「かつてない程に感動して号泣」「わざわざそんな話を真珠湾攻撃を題材に描くのか」と真っ二つだったのも恐らくその辺に起因していると思われます(上映終了後、パンフレットをゴミ箱に叩きつけているオッサンがいた、という話は笑いました)
その点「ブラザーフッド」は、同じ過剰なドラマでも兄と弟という血縁関係にある2人の人間を描いたドラマです。親兄弟と言えば、よっぽどの事がない限り、平穏な関係であることを願うのが人の常という物でしょう。同胞同士が殺しあうという不条理極まりない戦争が原因で、平穏無事には暮らせなくなってしまう家族や兄弟がいる。このテーマは他者との恋愛関係を描くよりずっと普遍的で、多くの人々の胸を打つはずです
「ブラザーフッド」で描かれる過剰なドラマは、過剰ゆえにザックリ展開し過ぎる気もしますが基本的に「戦争ヤダ!」という真摯な視線に基づいています。一方「パール・ハーバー」における零戦とのドッグファイトの「トップガン感覚」を見れば一目瞭然ですが、そこに「戦争ヤダ!」という真摯な視線を見い出す事は、少なくとも私には不可能です
「プライベート・ライアン」という映画は「戦争を作り物の映像として再現する」ある種のスタンダードを確立した作品であったように思います。「パール・ハーバー」は巨費を投じて客寄せとしてのリアルな戦闘描写を盛り込み、過剰な昼メロを展開しましたが、そこに取って付けた感は否めません。しかし「ブラザーフッド」は、これら二つの要素を見事に融合させてしまった作品として、今後は語られていくような気がするのです