弱点は青白く光らない。 〜再会の街で〜

再会の街でを観ました(@109シネマズ川崎)。

9.11で家族を失い、心が折れてしまった大学時代の友人を、再び心開かせようと奮闘する男の物語。奮闘する歯科医にドン・チードル、心を閉ざしてしまった男をアダム・サンドラーが演じています。

〜別に911を使わなくても、「愛する家族」を失う者はいるし、また、「愛する家族」を失ったからといってチャーリーのようになるわけではないが、このへんは、アメリカ映画の儀式的なパターンだとして受け入れておけばいい。そういう男がニューヨークのマンハッタンで暮らしているというところにも、「孤独な街=ニューヨーク」というパターンを感じないでもないが、これは、ニューヨークにしてよかった。この街では、偶然に人と人が遭いやすいのである。東京で会ったことのない知り合いにばったり遭うということがよくある街だし、新宿に住んでいるよりは、マンハッタンに住んでいる方が友人や知り合いにばったり遭う度合いが高い。

上記引用の通り、「9.11」とは単なる設定であって、そこに逃げようとはしていない、普遍的なコメディタッチのヒューマンドラマといった所でしょうか。
心を閉ざしてしまった人へのサポートとして、支える側はとりあえず受動的に、献身的にならざるを得ない、という構図がありますが、この映画でも「いきなりブチ切れてドリンクを浴びせられる」「夜中に突然訪ねてくる」「メル・ブルックスの三本立てスオールナイト*1を観るぞと言われる」などなど、心を開かせようとする側の苦労が描かれてます。友人とはいえ、赤の他人に対するここまでの奉仕というのは、いわゆるクリスチャン的な行いが身に染み付いてのことか、あるいはそうした具体的な信仰がなくとも、献身や奉仕の精神を通例としてマジョリティが理解しているということは中々素晴らしい事で、それこそがこの映画を成立させている一つの要因かな、とも思いました。
「あの人、今はあんなだけど、その昔、辛いことがあってねぇ…」という、アメリカの浪花節。その浪花節の重要な要素である笑わせて泣かせる男を、アダム・サンドラーが好演しています。特にセラピスト(リヴ・タイラー)と対峙した時の、普通に話している感じから突然激昂するシーンは一見の価値あり。コメディ作品を得意ジャンルとして活躍する彼の、俳優としての底力を見た様な気がしました。




*1:「ブレージング・サドル」ヤング・フランケンシュタイン「サイレント・ムービー」というステキなラインナップ