六百と二十二、それぞれのマンコ 〜コレラの時代の愛〜

「コレラの時代の愛」を観ました(@ル・シネマ)

「世界傑作文学100選」にも選出されたガブリエル・ガルシア=マルケス原作によるベストセラーを、マイク・ニューウェルがメガホンをとり映画化。
17の少年:フロレンティーノが、14歳の少女:フェルミーナに恋をする。若い二人の恋の炎はすぐさま燃え上がるが、少女の父に猛反対され、少女は隔離されてしまう。数年後、二人はようやく再会を果たすが、かつて少女が想い描いた美しい初恋の想い出とは異なり、現在の彼との間にギャップを感じてしまい受け容れられなくなっていた。別れを申し出る彼女。ここからフロレンティーノの、フェルミーナに対する51年と9ヶ月と4日に渡る長い長い片想いが始まるのだった…というお話。
原作を既に読んでいた同行者によると「原作における『イイ!』というディティールや面白エピソードなど、かなりバッサリと端折られている」とのこと。結果、悪い意味で大味なメロドラマといった体の作品が出来上がってしまったような気がしました。
まず、一番の要因はヒロインを演じる女優さん。74年生まれの女優さんが、いくら何でも14歳の少女を演じるのには無理があるであろうと。少年役はちゃんと若い男の子が演じていて、成年期はハビエル・バルデム様(aka殺し屋シガー)が演じているのですが、この少年期からたった数年の間に突然ハビエル様に変身しているので、ちょっとしたコントのようでした。そして、上記にあるように振られてしまうのですが、そりゃあ無理ネエよなぁ、という感じ。
ハビエル様は失恋のショックを克服するためか、寂しさを紛らわすためか、あるいは、いつか初恋の人と結ばれるその時に備えるためか、実に622人(!)の女性と性的関係を結ぶのですが、この展開になったときにマーティン・スコセッシの『エイジ・オブ・イノセンス』を思い出しました。

お互い伴侶がありながら、NY社交界の柵から抜け出せず、逢瀬だけで(でも事には及ばずいつも未遂に終る)四半世紀以上に渡る擦れ違いを続ける二人。「コレラの時代の愛」における、初恋の女性を一途に想いながらもヤリまくりのフロレンティーに比べると、「エイジ・オブ・イノセンス」の主人公ニューランドは、結婚に失敗したオレンスカ夫人を一途に想い続けながらも、自分は何事もなかったかのように、粛々と妻との幸せな結婚生活を装います。老いてやっと成就する「コレラ〜」に比べ、万感の思いばかりが去来する「エイジ〜」のラストは、対照的で非常に興味深いです。

  • The Age of Innocence (1993) trailer


スコセッシは「ディパーテッド」での“老い”(もしアレが本人的にも満足が行く作品と言うのであれば)が露わになってしまったので、こういうメロドラマ路線でもう一本ぐらい撮ったら良いと思う。というか、マイク・ニューウェルではなくスコセッシが「コレラの時代の愛」を撮っていたら、また全然別物になっていたんだろうなぁ、と思いました。