「最後の更新」

近藤は苛立っていた。あの「ないしょ話」とかいうヤツ。人のことを「整形してる」呼ばわりだ。おまけに人の顔で遊び放題。だが、自らのパブリックイメージを考えれば、ブチ切れしたりするのはキャラではない。近藤は鬱屈としていた。仕事は多忙を極め、ストレス発散をしている暇など無いに等しい。なす術も無く、己を殺し、いつもと同じ様に、午後、山積みの仕事を頭の隅に追いやり、モニターをぼんやりと眺めていた。そしてひらめいた
別アカウントだ
別アカウントで日記を始めよう。「jkondo」では書けない、いや書かないようにしている、本当の自分。自分は何になりたかった?自分の青春は何だった?学生時代は何にのめり込んだ?
学生時代、近藤はビート文学にどっぷりだった。ケルアックやらギンズバーグやらに憧れた。彼らの詩に涙した。そうだ、詩を綴ろう。別アカウントの日記で詩を綴るのだ。id:odnokとして
「じぶんのこと たなにあげてちゃ あいてのこころはみえないYo」
どこかで聞いた事あるような節だと思った。小汚い筆字で書きなぐったようなヤツ。亜流と思われるのは嫌だったので「Yo」でちょっとしたBっぽさを出したつもりだった。馬鹿みたいだ。明日には削除するだろう、という気分でそのままアップして寝てしまった
その後の数週間、毎日更新を続けた。一日一行の詩を綴る。それを日課とした。意外なことに、アンテナも着々と数を延ばしていき、トラックバックも付くようになった。晒しなどは皆無で、どれも「癒される」「元気が出る」という類の好意的な内容だった。そんな経過を見守りながら、近藤は蓄積されたストレスが徐々に消えていくのを感じていた
そして、別アカウントで日記を開始してから3週間を過ぎようとする頃、信じられないような事が起こった。トラックバックが一日1000件以上。「天才詩人現る!」「ストリートからブログへ!」など仰々しい文字が躍っていた
「けれど けれどで なんにもできなかったYo・・・_| ̄|○」
あまりに皆が騒ぎ過ぎているので、試しにパクりでアップしてみた。しかし状況は変わらなかった。賞賛に次ぐ賞賛の嵐。アンテナ登録数も今や余裕で百傑に食い込んでいる
「Disられたってイイじゃないか にんげんだものYo Bro」
明らかなパクりだった。それでも状況に変化は無し。「竹下通りでid:odnokを見た!」「表参道で見た!」など、実物発見情報もチラホラ出初めていた。完全に常軌を逸している。そして、それに気付いているのは自分だけだ。近藤は恐ろしくなり、それ以降の更新を止めてしまった
それから数ヵ月、id:odnokの更新されなくなってしまった事を嘆く風潮は衰えを知らなかった。それどころか、更新されなくなったことをきっかけに、一人歩きもドンドンと加速をしていった。「直筆の壁紙」がオークションなどに出品されるようにもなった。無論、そんな物は存在しない。そして近藤は決意する。こんな茶番を一刻も早く終わらせなければ




哲也がそのブログの事を知ったのは、登録しているメルマガで紹介していたからである
「じぶんのこと たなにあげてちゃ あいてのこころはみえないYo」
読んだ瞬間に思わず涙が頬を伝った。何と言う美しい言葉。何と言う揺るぎの無さ。何と言う力強さ。すぐにこの詩が本物であることを悟った。
哲也は盛岡出身だった。カート・コバーンの「ハロー・ハロー・ハロー・どのくらい酷い?」という言葉に触発され、上京した。バンドを幾つか結成しては解散した。バイトを掛け持ちしながら、休みはスタジオかライヴハウスに入り浸るという日々。インディーだが、音源を発売したこともあった。しかし、登りつめられるピークはそこまでだった。気が付けば30を越えていた。様々なことに疲れ果て、音楽からも離れていった。ギターとアンプは埃をかぶった。
id:odnokの日記を知ったのは、人生の全てに嫌気がさしている、そんな時だった
「けれど けれどで なんにもできなかったYo・・・_| ̄|○」
バンド活動において哲也は、作曲も作詞もしてりたので、産みの苦しさというものをよく解っていた。シンプルな詩ほど難産なのである。id:odnokの日記は、シンプルで力強い詩を日々配信し続けていた
「Disられたってイイじゃないか にんげんだものYo Bro」
この詩を読んで、哲也はオイオイと泣いた。こんなに泣いたのは、前回がいつだったか思い出せないぐらい久し振りだった。本物が本物だけに共鳴する。気が付けば、id:odnokの日記は哲也の心において、想像以上の比重を占めるようになっていた。そんなある日、日記の更新がパッタリと止んだ。
まるで長年付き合ってきた恋人が目の前から消えてしまったかのような感覚に襲われた。何故?一体どうして?なす術も無く、過去ログを繰り返し繰り返し読み返した。ほとんどの詩を空で語れるようになった時、突然日記が更新された。そこには信じられないような一文が記してあった。
「id:odnokの姉です。詳しいことは言えませんが、彼は1ヶ月前にこの世を去りました。今までこの日記をご愛読して下った皆さん、本当にありがとう。パソコンの前にメモ帳があり、そこに詞が一文書いてありました。次回はその一文をアップしようと思います。明日が最後の更新となります」
哲也は呆然とした。何故?どうして?神がいるなら何故、彼のような才能溢れる詩人をこの世から追放しようとするのか?やり場の無い口惜しさに、哲也は拳を握り締めた。そして、最後の更新をモニターの前で待った。ひたすら待った。最後の更新は24時を2分ほど過ぎた頃、ひっそりとされた。そこにはこう記してあった。
熟成やずやの香醋欲しい!
哲也はモニターを拳で叩き割った。そして、流れる血を気にも留めず、埃にまみれたギターをアンプに繋げて大音量で弾き倒した。