アイズ・オブ・傍観者「告白」


シングルマザーの教師:森口(松たか子)が、たまたま学校に連れてきていた一人娘の愛美がプールで死亡した。幾つかの状況証拠から、事件は事故ではなく、自分のクラスの生徒による犯行だと踏んで、森口は生徒を追い詰めていくのだが……というお話。中島哲也の新作。
中島作品の共通点として、傍観者やアウトロー、いわゆる社会/システムに適応できない人や、適応しているフリをしている人々に主眼を据えている、という点が挙げられます。本作「告白」では、主要なキャラクターはほぼ全員“適応しているフリをしている”人々であり、彼らは皆、教師である以前に母親であり、殺人者である前に生徒であり、生徒である前に子供であり、親である前に脆弱な一人の男であり女であるのです。
「告白」では、上記の“フリをした人々”に、それぞれパートを与えて「告白:○○○○」と冠し、自身の内情を語らせます。物語は、教師、犯人A、犯人B、犯人Aと交流を深める少女、主にこの四人:四つの異なるパート:四つの異なる視点で構成されています。
フーダニット〜ワイダニット的ミステリという観点からしても、「告白」はこの「四つのパート」という仕組みを巧みに操り、因果が因果でリンクしていくダウンワード・スパイラルを容赦なく描いていきます。非実在云々といった、議論するのも馬鹿馬鹿しい空気が蔓延するこのご時勢に、実際に13〜14歳の子役を起用して、これだけやらせる中島哲也の本気具合に対しては、その演出・表現方法に完全に共感できないまでも、メジャー資本でこれだけやりきった根性に感服せざるを得ないと想います(かなり露悪的であり、明らかな嫌悪感を抱く人の意見もわかりますが)。

喪失を起因として復讐という意志を強固に抱き、そしてそれを果たす過程で更なる強大な喪失感を得ることとなる教師:森口。終盤、彼女が街頭で嗚咽するシーンが、短いながらもそれを饒舌に語っていてます。
「告白」に一点だけ不満があるとすれば、それは傍観される側の視点の不在でしょう(これは過去の中島作品に共通して言えることだと思いますが)。岡田将生が演じる一人の熱血教師の、その内情。傍観する側とされる側を同等に、とは言わないまでも、その両方を描いてこそある種の到達点だと思うのですが、こればかりは作家の興味の範疇なので致し方ない話なのかもしれません。
昨今の邦画に付け焼刃のように使用される洋楽の既成曲ですが、「告白」で使用されている下記の楽曲に関しては恐ろしいまでのハマりっぷりで、まるで書き下ろしの新曲のように感じました。



告白 オリジナル・サウンドトラック
サントラ やくしまるえつ&永井聖一 ザ・エックス・エックス Boris cokiyu Curly Giraffe Y.S.& The Sunshine Band choir レディオヘッド
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