「殺人の追憶」について。


この映画、「未解決連続殺人事件を描く」って最初にネタ割ってるんですよ。しかも韓国では誰もが知ってるような有名な事件なんだとか。で、オチがわかってるだけに「どうオトすのか?」って興味津々で観たんですけど、いやぁ参りました。こんなオトし方があったとは。
よくあるシリアルキラー物で言うと、捜査側を中心に、話の核心に触れて行くにつれ、犯人側の思惑なりモチベーションなりが語られて行く場合が多いです。羊たちの沈黙バッファロービルの「トゥーマッチなトランスヴェスタイト」しかり、「セブン」ジョン・ドーの「オレ版七つの大罪」しかり。
「殺人の追憶」でも、未解決の事件ではあるけれど、残された調査資料などから犯人を仮定して描く、というやり方もあったでしょう。しかし、それを「そんな仮定をしても意味ナシ」と、犯人側の思惑を潔く切り捨て描いている。そこにこの映画の勝利があったように思います。犯人側が描かれない分、捜査側や事件に関わった人たちの、空回り・振り回されっぷり・ドロ沼にはまっていく様が丁寧に描かれていきます。後半の「そうなってくれるな!」という事柄が次々と派生し雪達磨式に転がって肥大化していく展開には、一種のカタルシスを憶えます。
自分の信じる物が目の前で音を立てて崩れていく。テンパりが極限に達してのアイデンティティーの崩壊(この辺は、黒沢清の「CURE」と通ずる所があるかもしれません)。
そして更に素晴らしいのが、作品にちりばめられたユーモア。
物証を台無しにしてしまう耕運機しかり、唐突に繰り出されるドロップキックしかり、紛らわしい性癖で捜査を混乱させる男しかり。しかし、そんな笑いも終盤に行くに連れ少なくなり、オチで子供が発する一言により完全に吹き飛ばされます。この子供の一言を受けての、ソン・ガンホの「顔」。「殺人の追憶」は、ラストのこの顔を見せるための映画だと言っても過言はないでしょう。
今のところ、上半期では1番好きな映画かもしれません。貴方のハートには、何が残りましたか?