社員食堂のビズ・マーキー

彼はいつも一人で御飯を食べていた。
昼休みの社員食堂。彼の特等席も決まっていた。食堂の一番奥の、一番左。昼休みは必ず食堂に一番乗りして、お決まりの席を確保するのである。食べるものも決まっていた。食堂が用意する400円の弁当と、カップ焼きそばを一つ。それが彼の“お昼御飯”だった。
弁当+焼きそば。彼の巨体を見れば、弁当だけでは足りないであろうことが容易に想像出来る。巨体をパイプ椅子に無理矢理押し込め、背筋をシャンと伸ばし、綺麗な姿勢で箸をセッセと動かしていた。
彼はいつだって一人で御飯を食べていた。僕は彼が御飯を食べている所を見るのが好きだった(もちろん、怪しまれないように離れた席からコッソリ見ていたのだが)。別にニコニコしながら食べている訳では無いのだが、何と言うか、「食べる」という行為に真摯に向き合っているというか、一生懸命に御飯を食べているという感じがとても好きだった。
彼はたっぷりと時間をかけて箸で口に運んだ物を噛むのである。それもゆっくり口を動かしながら。一度箸で食べ物を運ぶ毎に20回噛む。回数は必ず20回だった。そしてこれまたゆっくり飲み込むと、うつむき加減になって少しだけフッとはにかんだ様な笑みを浮かべるのである。この瞬間が僕にとっては至福の時で、彼のこの笑みを確認するために、僕はコッソリと“お昼御飯”中の彼の観察を続けていた。
「ウチの会社にさ、ビズ・マーキーがいるんだよ」
週末、久々に学生時代の友人達とあって、彼のことが思わず口に出た。巨体で髪を短く刈り込んだ彼の風貌は、ラッパーのビズ・マーキーにそっくりだった。
「何ソレ?ビートボックスでもするの?」
今の会社では、ビズの名前を出したところで社内の誰も知らないはずだ。ヒップホップと言えば、せいぜいお笑い芸人がよくやる「YO!チェケラッチョ!」といった様なイメージでしかないだろう。即座に「ヒューマンビートボックス」と返す友人に、僕は妙な居心地の良さと安堵感を覚えたのだった。
「いやいや、ルックスだけなんだけどさ」
実際、とある電子機器メーカーに勤務している社員同士で、所属しているフロアも同じだったが、彼がどういった業務に携わっているのか全く知らなかった。トイレなどで擦れ違って軽く会釈することはあったが、世間話程度のことすら話したことは無かった。
そんな彼が退職するという話を耳にした。家庭の事情で家業の旅館を手伝う事になったそうだ。結局僕は、彼と一度も話す機会もないまま、送別会に参加することとなった。
送別会は、ごくありきたりな送別会だった。オフィス街などでよくチェーン展開をしている和風ダイニングでの一次会に、二次会はカラオケ。彼は自ら進んで話すことはなく、彼の席にやってきて話し掛けてくる人の相手をして、それ以外の時はお昼と同じように出された料理を口にしていた(コッソリ回数を数えたのだが、やはりキチンと20回噛んでいた)。
二次会のカラオケでは彼の意外な一面を見ることが出来た。最初は頑なに歌うの拒否していた彼ではあったが、酔いも回ったのか、マイクを取ってフラフラと前に出て、KANの「愛は勝つ」を歌いだしたのである。これがビックリするぐらい調子が外れていて、僕は思わず吹き出してしまった。吹き出すと同時に瞬時にある思いが頭をよぎった。
これはまるっきり、ビズのLet Me Turn You Onじゃないか!
僕も酔いが回っていたので、どうにもいてもたってもいれらなくなり、気が付けば彼と肩を組み、二人で「愛は勝つ」を絶唱していたのである。その後の出来事は、ほとんど記憶に残っていない。
翌日の昼休み。彼の姿はもう食堂には無かった。僕は、元は彼の“特等席”だった場所に座ってみる。彼が20回御飯を噛み、照れ臭そうにはにかんだ時、その様を紛らわす為に視線を中に泳がせる事があった。彼が泳がせた視線の先には何があったのか。これといって何もなかったのか。
ふとテーブルにてをやると、妙にゴツゴツしていることに気付いた。僕は思い出した。そう言えば彼は、最後に出社した昼休み、弁当を食べカップ焼きそばを食べ終えた後、何やらゴソゴソと物を書くような動作をしていたのだった。テーブルを触ってみると、微かに文字の様な感触がある。どうらや文字らしき字体は掃除夫に消されてしまったようだが、何か跡は残っている。
彼の筆跡が残っている。僕はとっさに思いつき、作業着のポケットにあったメモ帳を一枚引きちぎり、そっと鉛筆を取り出してなぞってみた。そこには、こんな文字が浮かび上がったのである。




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