「真珠の耳飾の少女」を観ました。


同じ島国ってこともあるからか、イギリス人と日本人って似た所が沢山あると思うんですよね。物事を斜に構えて見るし、皮肉屋だし、冗談ではぐらかして本音を中々言わないし、基本的にシャイで小心者で、伝統や徒弟制度などを重んじている。そしてこの映画の監督(英国人)も映画の一つのテーマにした、と語る「抑圧されたセクシャリティ」ってヤツにも共通する点があると思うんです(映画の舞台はご存知の通りオランダ)。

お話はフェルメールと、その家にやってきた使用人の交流を描いていますが、主に語られるのは「主人と従者」という許されざる関係で発展してしまいそうな「開放されたがってるセクシャリティ」でしょう。主人はモデルとなった従者に何度も「唇を舐めろ」と言い、従者はその要望に何度も唇を舐めてみせます。
お互いに「ピンコ勃ち」「ジュン…」ってなってるのが火を見るより明らかなのに、お互いはさもなかった事のように振舞う。そしてお互い違う相手にそのはけ口を求める。こういった要素って日本人こそ大好きな要素だと思うし、逆に「己の欲望に忠実でアレ!考える前に飛べ!」的なアメリカ人とかに言わせれば「はぁ〜?何してけつかんねん!早よせえやボケぇ〜!!」ってなると思うんです。


なので、シャイで小心者で物事を斜に構えた皮肉が好きで、もっぱら慰めは自ら行う事が多い自分にしてみれば、大いに楽むことが出来た映画でしたよ。


技術的な事を言えば、フィルムにてフェルメールタッチの再現を試みるエデュアルド・セラ(ル・コント作品で有名な人)の撮影は中々素晴らしかったと思いますよ。あとはスカーレット・ヨハンソンの唇。常に半開きの唇。もう見ている内に画面に写っているのが唇だかスカーレット・ヨハンソンだかよくわからなくなる程です。


同じ寸止めイズムで言えば、アトム・エゴヤンの「フェリシアの旅*1」も、優れた寸止めイズムに裏打ちされた名作だったなぁ、と思います。