絵も上手なのね。

舞城王太郎の「バラバラPOP漫画 in 山手線」!!
ほのかに「鳥山テイスト」が漂いますね(世代的にドンピシャのハズ)。ソースは例によってまた「ケムリズム」KUであります。
実は昨年末〜今年初頭にかけて舞城王太郎という作家の作品を立て続けに読み倒したので、私的に今年は舞城元年という気がしています。というわけで、著作から印象的だったパートを以下に…↓

恐怖を消し去るには、その源の場所に、すぐに戻らなければならない。
「熊の場所」



人生はスポーツではない。負けてないことが勝つことにはならない。そしてこれは誰でも判っているだろうが、人生ってのは大きな引き分け試合だ。でもそれぞれの局面において、勝ち負けはちゃんとある。って言うか勝ち負けしかない。
でも負けたときしか、勝ち負けの判断はうまくできないのだ。
「バット男」



冷たく湿った夜の空気の中をわたしはサンダルでチャリをガンガンこいで暗い県道の脇を突っ切る。車が来なけりゃラインを越えて車線の真ん中を走っちゃう。ジグザグ走行なんてもちろんしない。そういうパフォーマンスとはもうおさらばだ。エンジンやマフラーの騒音もなくてチャリは静かでシンプルで素敵。いっしょに馬鹿をやる友達なんてもう要らないのだ。けだるい興奮やちんたらしたスリルなんてもうどうでもいいのだ。私は人生を生きる。目の前に自分の人生が手付かずのまま残っているのだ。それを新雪をギュッギュッ踏みしめるみたいに楽しむことに決めたのだ、今日。
「ピコーン!」


上記三点「熊の場所

俺には確かに愛情がある。優しく穏やかな愛情がある。これは確かにあるのだ。まだしかし誰にもそれを見せていないし与えていない。
くそ!俺はたった一度もまともに女の子を愛さずに、俺の中に蓄えたたくさんの溢れんばかりの愛情を誰とも共有せずに、穏やかな幸せとか平和な結びつきとか丸ごとの親密さとかを知らないままに、このまま阿呆みたいに死んでいくのだ。
「暗闇の中で子供」

そうだ。
愛情というものは、苦しみを乗り越えることをシステマティックに組み込むことで、怪物へと育ってしまう。そこから逃れることができなくなってしまう。
だから人は、苦しみの多い愛情を、もしそこから逃れるというつもり/可能性/ひょっとしたら・あるいはという選択肢があるならば、長い時間継続させないほうが賢明だ。
苦しみがあるのなら、その愛情は諦めて、別の相手を探した方がいい。世界には他にも自分の愛情を注ぎたくなる人間がたくさんいる。

苦しみを感じるなら、僕なんて愛さなくていいんだ。
九十九十九