私が考える○○ 1

私が考えるヒップホップ 〜ヒップホップとは学校である〜
ヒップホップって非常に自由なイメージがあるように思うんですけど、意外と制約が多いジャンルの音楽でもあると思うのです。まず「MC+DJ」という構成がスタンダードだと思うんですが、MCはラップをしなければいけない。リリックを考えて韻も踏まないといけない。歌を歌えば「なんだラップしねえのかよ」ということになる。DJはスクラッチをしなければならない。トラックを繋いでるだけなら「コスんねえのかよ!」ということになる。コスるネタは既存の音源から拾ってこなければならない。カッコ良いフレーズをサンプリングしてループさせなければならない。逆説的かも知れませんが、非常に縛りが多い音楽だと思うのです。
こうした縛りをある種のディシプリンとした時、そこに自由な精神の人々を放り込むと一体どのような化学反応が起きるでしょうか?彼らは恐らく、その定められた枠内で、面白可笑しいことをしてやろうと考えるようになるでしょう。枠内を「学校」とすると、上記のような「制約=縛り」は「ディシプリン=校則」となります。その校則の枠内で「もっと良いライムを!」「もっと良いネタを!もっと良いループを!」「このフレーズは誰かに生演奏して貰おうか?」などと試行錯誤する様は、勉学に勤しむストイックさと似ているかも知れません(この辺はむしろ部活的と言えるかも知れませんが…)。
そして、ヒップホップ内でのカテゴライズです。これは言わずもがな、オールドスクール、ミドルスクールニュースクールなどと分別したりします。
更にMCやDJはバトルで対決をします。MCは即興でラップを、DJはコスりや繋ぎのスキルをタイマンで競い合います。これはちょっと不良の臭いが漂う「放課後の決闘」といったところでしょうか(喧嘩という要素では「ディスる」という行為もありますね)。不良という流れで服装を考えてみましょう。いわゆる「パンツを腰で履く」という行為を誰が始めたのか定かではありませんが、これも通常の履き方を少しアレンジしたものです。「パンツ腰履き」を、制服(縛り)の範囲で出来る自己主張としていた不良の方々も少なくないはずです(今のヤンキーファッションがB-BOYっぽい感じに傾倒している点も、リンクしているのではないか、と)。
現在のヒップホップは「ラップがなくてもイイじゃん」「ビートがもっと複雑でもイイじゃん」と、アブストラクト・エレクトロ・アンビエント・イルビエント、などといった多種多様なジャンルを取り入れ、更に進化しようとしています。最後に皆さん、ちょっと自分たちが中高生だった頃を思い出して頂きたい。学校で印象的だった「面白いヤツ」とは、校則に違反しないギリギリの範囲で、色々と面白可笑しいことをして皆を笑わせてはいなかったでしょうか?そうした枠内で試行錯誤を繰り返す人々がいる限り、ヒップホップは音楽ファンから愛され続けるでしょう。ジャケット画像VISIONARIESニュースクール以降の革新的な音を鳴らす彼らもまた、アルバムのジャケットで教室をモチーフにしている、という興味深い事実を例に挙げながら、今回はこの辺りで御開きとさせて頂きます。