ミランダ・ジュライ「いちばんここに似合う人」

孤独な魂たちが束の間放つ生の火花を、切なく鮮やかに写し取った16の物語。カンヌ新人賞受賞の女性映画監督による初短篇集。フランク・オコナー賞受賞。

本当に待ちに待ったミランダ・ジュライの初短編集。期待通りというか、待ちすぎて膨れあがった期待を維持したまま読み始めると、針をプスっと刺されてシューンと縮んでいく中「これは……」と冷静にならざるを得ない、凄い短編集でした(でも自分の読書量など世の読書家の方々からすればたかが知れているので、あくまでもそこを考慮に入れて頂いての話ですが)。
先日のデヴィッド・レーヴィット「ファミリー・ダンシング」の感想(→これ)でも少し触れましたが、近代では今を生きることの「厭世観」だったり「生き辛さの表明」的な小説というのは、割にジャンルとして確率してきたと思うのです。そしてそれは、時代の変化と共に、より先鋭化され表現のヴァリエイションもどんどん豊かになっているようにも思います。
レーヴィットの「ファミリー・ダンシング」では、タイトルからもあるように「家族」を一つのテーマとした、レーヴィット自身のパーソナリティでもある“ゲイ”という観点も含んだ、(本が刊行された)80年代半ばの「生き辛さの表明」がなされていました。そこには「読んで元気になりました!勇気を貰った!」と言えるようなお話しは一つもなく、結構なドン詰まり感が感じられたのですが、それから四半世紀近くを経て、こうした「個人」を扱った小説というものが、一体どういった変貌を見せているのかが非常に気になっていました(結果的には読んでいく中で気付いたのですが)。
ミランダ・ジュライは確固たるヴィジョンを持っていて、それは揺るぎなく一貫しています。言うならば、「生き辛さの表明」などを考えるまでに至らない、本当の意味で「市井の人々」の情感を汲み取ろうとする作業のようなものだと思います。
普通に人生を送っていて、降りかかってくる様々な「辛いこと」。愛する人との別れだったり、親しい人を死によって失うことだったり、もっと細かく言えば一日に三回ぐらい足の小指を柱などにぶつけるだとか、上限下限の差はあれど、生きていれば泣きたくなるような辛いことというのは往々にしてあったりするものです。しかし、そうした色々な辛いことがあっても、お腹は減るし、眠くはなるし、あ、何分の電車を乗り過ごしたら会社に遅刻する、とか、人は考えるしそれに基づいて行動します。
「いちばんここに似合う人」の中で描かれている、所謂、市井の、普通の人々が抱く、ポジティヴな諦念というか、生活に密着した諸行無常というか、こうした境地をサラッと16本の短編にちりばめてしまうミランダ・ジュライの才能というのは、やっぱりちょっととてつもない物なのではないかな、と思いました。

Learning to Love You More
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ハレル・フレッチャーとの共著「Learning To Love You More」は、ミランダ・ジュライがweb上で行っているアートプロジェクトをまとめた本で、簡単に言えば「一般の人々にweb上でお題を与えて回答を募り、それをweb上で公開する」といった趣旨の企画。「両親がキスしている写真を撮りなさい」「見知らぬ人と握手している写真を撮りなさい」「誰かの髪の毛を編みなさい」「(何かに)抗議する看板を作って抗議しなさい」など、多岐に渡ります。

お題も勿論ですが、ミランダ・ジュライが取り上げた回答というのも、これまた彼女の「市井の人々」に対する興味/関心の源泉を見たようで、非常に感慨深いです。こうした観点がまず立脚点としてあり、それがあっての小説や映画のブレの無さなんだなぁ、と改めて思いました。
自分が印象的だったのは「人を勇気づけるようなバナーを作りなさい」というお題に対してのこんな回答。

ちょっと泣きそうになりました。
 

「いちばんここに似合う人」のあとがきによると、なんでもミランダは現在、二作目の長編映画を撮っている最中とのことで、こちらも物凄く楽しみです(デビュー作であるこちらも↑是非)。