我が子の印「灼熱の魂」
ケベック州に住む双子の姉弟ジャンヌとシモンは、亡くなった母親ナワルからの遺言を受け、未だ見ぬ彼らの父親と兄の存在を知る。そして遺言によりジャンヌは父親への手紙を、シモンは兄への手紙を託され、二人は中東の母親の故郷へ初めて足を踏み入れる。 wikipedia 「灼熱の魂」ストーリーより
例えば「戦争・内戦の悲惨さを知る」ときに、現在ではネットの普及や様々な書籍などの刊行もあり、「調べてみよう」と思ったり「知ろう」と思えば、幾らでも知ることが出来る。
何万もの市民が虐殺された、それには女子供も含まれる、民族浄化の名の元にレイプが横行した、昨日まで隣人だった人々がある日を境に銃を手にとって殺し合いを始めた。その内戦が何と呼ばれていたか、通り名を検索窓に入力すれば、内戦の概要、そして事件の背景等、ものの10分もあれば把握は可能であろう。
高校の修学旅行で、広島を訪れたことがある。原爆ドームや資料館、そして実際に被爆した生存者に話を聞く、というお約束のコースである。自分たちに話をしてくれたのは高齢の女性で、今となっては詳細はうろ覚えだが、自分の妹を失ったことを涙ながらに話してくれた。普段は授業中にふざけたりするようなポジションの生徒も、この時ばかりは神妙な面持ちで老婦人の話に耳を傾けていたのが非常に印象に残っている。日本で平和に暮らしてきた10代の高校生に対するイニシエーションとすれば、まずまずの成果を上げていたように思う。
「戦争・内戦の悲惨さを知る」または「悲惨さを語り継ぐ」には、一体どういった手法を選択すれば良いのか?それはおそらく「受け手が物語として共有する」という形が、最も効果的なのではないだろうか。
「灼熱の魂」は母の奇妙な遺言に記された、いくつかの巨大な謎で幕を開ける。生前は、その存在自体を話してもらえなかった父の存在。そして兄の存在。その二人を、双子の姉と弟が二人で協力して探し出すこと。
この使命は一体、何を意味するのか?母は、残された二人の我が子に、一体何を伝えようとしているのか?
探究心の強い姉:ジャンヌは母の故郷である中東へ旅立ち、死に及んでもゲームのような真似をする母に嫌悪感を抱く弟:シモンはまるで他人事のように興味を示さない。ところが、かの地で姉が知った衝撃的な事実により、双子は協力さぜるを得ない状況へと追いやられ、そこには更なる驚愕の事実が兄弟を待ち受けていた……。
観客は、この双子の辿る道、そして二人の母がかつて辿った道を追体験することによって、想像を絶するような「物語」を共有することとなる。その手腕のなんとも見事なこと。悲しきパズルの最後のピースがカチリとはまった時、受け手に許されるのは、せいぜい溜息ぐらいである。
遠い異国の話。異なる宗教を信仰する人々の話。信仰の違いという愚かな理由で殺しあった愚かな人々の話。
「灼熱の魂」は、そんな無関心さ、不寛容さを徹底的に否定し、完膚なきまでに叩き潰す。
本年度ベスト1はこの映画にしたいと思います。