小さな石鹸カタカタ鳴った。「ブルーバレンタイン」


一組の夫婦の関係が崩壊するまでの一日を描いた物語。終わりへと緩やかに進行する現行パートと、二人が交際を始めたばかりの幸せだった時期がフラッシュバックで交互に描かれる。
男女の関係において、決別へと向かう何かのきっかけというのは、おそらくどんなカップルにでもある。そしてそれは、往々にして別れを切り出した方が強く認識したことで崩壊へと向かい、切り出された方は豆鉄砲でも喰らった鳩のような顔でキョトンとしたりするだろう。
「ブルーバレンタイン」では、妻:シンディ(ミシェル・ウィリアムズ)が夫:ディーン(ライアン・ゴズリング)に抱く感情が、傍観者たる観客にとってはかなり明確な形で描写され、どんどん気持ちが離れていく妻とは対照的にちっとも気付かない夫、という妻の主観で進行する。
この「最後の一日」におけるシンディは、熱湯風呂の縁に四肢をかけて「押すなよ!押すなよ!」と繰り返す上島竜平と同じである。彼女は、飼い犬の死に心を痛める夫を見て「……」と無言になり(しかも妻に罪悪感を押しける!)、嫌だと言っているにもかかわらず無理矢理ラブホテルに連れて行かれ(しかも部屋が部屋だ!)、今後の将来の身の振り方に関しては会話は噛み合わず(もちろんその深刻さは微塵も感じていない!)、せっかくのラブホテルでのメイクラブは散々な結果に終わり、翌朝には妻の勤務場所である病院で決定的な崩壊を迎えるに至る。
この寒々しい現行パートとは対照的に、幸せだった頃の二人の姿が象徴的に繰り返される。二人が結婚に至る感動的な経緯と、ディーンのその決意。それを受けての結婚式のシーンは、まるで70年代のフォークソングのように素朴で、純粋で、美しい。愛とは決して後悔しないこと。若かったあの頃。何も怖くなかった。ただ・貴方の・優しさが・こーわーかーあったー。
見当外れかもしれないが、この幸せだった頃の二人のおセンチな回想は、おそらくディーンによるものなんだと思う。あんなにも愛に溢れていた二人は、一体どこにいっちまったんだ?あの二人のテーマソングは、いったいどこにいっちまったんだ?と。
それに対し、シンディのパートは徹底して現実的でシビアである。遊び半分で子育てをするディーンのツケは常にシンディに回ってくるし、にもかかわらず共働きで主婦業をこなし、そして仕事に対する意欲も向上心もある。
決定的な別れのきっかけ、その引き金をディーンが引いた際の、シンディのリアクションがとても印象的である。彼女は「私はぬかるみにドップリと浸かっているんだ」と、手で水位を表して「アップ・ヒア!アップ・ヒア!」と連呼する。メーターはとうに振り切れた、と言わんばかりに。
ディーンが結婚式で着ている古着っぽいジャケットを見れば、その人と為りはなんとなく解るし、自分の友人などにもいそうな、親近感というか同時代性を感じた。もう離婚をテーマにした映画の主人公と同世代なんだから、呑気にブログを更新している場合ではないのかも知れない。

Blue Valentine

Blue Valentine