井村恭一「ベイスボイル・ブック」

ベイスボイル・ブック
井村 恭一
新潮社
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正体不明の「海上委員会」が管理する南の島。「わたし」はそこで、前代未聞の奇妙な野球(ベイスボイル)を観戦する仕事を引き受けた……。現実と非現実が溶け合う新感覚ノベル!<帯解説より>

両翼が200m以上はある野球場が存在する南海のとある孤島で、あることの調査を命じられた男の物語。第9回 日本ファンタジーノベル大賞受賞作。
凄く面白かったです。野球場の広さもさることながら、外野スタンド付近には藪がボーボーで、おまけにそこにはモリージョという豚のような雑食の動物がいてボールを食べてしまう等、醒めない悪夢のような野球場の描写が秀逸でした。
上記の感じは、いわゆるマジックリアリズム的表現と捉えて間違いないのでしょうが、チームの監督の母親が、死んでいるはずなのに球場に試合を観戦しにきて文句をブツブツ言ってるとか、そうした突拍子も無いセンスオブユーモアが抜群で、あとは選評で故・井上ひさし先生も「この言語感覚は貴重な宝石」と仰っていたように、文章表現・比喩表現の鋭さには随所で付箋を貼りたくなりました。個人的に挙げると
ここの人間には祈る習慣がない。個人が通信できるほど神は近くにはいない、というのが彼らの信仰習慣だった。「造物主のラジオは大して感度がよくないんだろう」と、彼らは言う。
外国語なんぞ使って愚か者め、外国語はただの言葉遊びの言葉だぞ
「期待なんてのは無料で配るビラみたいなものでしょ。安っぽいし、有り難味もない。紙にお菓子の絵を描いているのと変わらないわ」
わたしの隠された本当の目的ってのはなんだい? と訊いてみる。答のことを考えずに質問するのは楽なことだ。
アロンゾがナイフを入れると、使い初めの油絵の具に似た透明な脂が皿の上、肉の下をゆっくりと流れた。
といった感じ。どれもちょっとハードボイルド風でありながら、でも時折スッとぼけて見せたりして、映画で言うと初期ジャームッシュとか、ハル・ハートリーを喚起させるのがとても新鮮でした。自分は日本の作家をそれほど熱心に読んではいませんが、日本でこういうテイストの小説を書ける人がいたのか、とちょっと感動しました。

井村恭一という人は実は文学界の5月号に「妻は夜光る」という短編を発表していて、実はこっちが「ベイスボイル・ブック」を読むきっかけとなったのでした。
「ベイスボイル・ブック」は97年の作品で、その間に10年以上経てば、作家としての変化やスキル的にも色々と向上していたりするのは素人目に考えても予測できることでありましょうが(2005年には芥川賞候補にもなった「不在の姉」などもあり)、この「妻は夜光る」に関してはその予測を軽々と超えていたのでビックリしました。
簡単に言ってしまえばこの「妻は夜光る」は、夫婦の静かな愛情を描いた小説でありながら、グルメ小説であり、そしてゾンビ小説であるという、前人未到の地に踏み入っていたりするのです。これは、もっとたくさんの人に読まれるべきだし、そしてもっとたくさんの人に驚かれるべき小説だなぁ、と思いました。

あと、古澤健監督(id:Full2ynが書いたノベライズ「ドッペルゲンガー」にも少しテイストが似ていると思いました(感想)。この二人でお酒でも飲んだら良いんじゃないかと思います。