サラとカイルのいた部屋


1984年。一本の低予算SF映画が話題を呼ぶ。「ターミネーター」の第一作目である。
スカイネットというコンピューターネットワークに支配された暗黒の未来。人類は機械を相手に暗澹たる闘いを繰り広げていた。ある男が現れるまで。その男の名はジョン・コナー。機械軍:スカイネットに立ち向かい、人々に希望を与え、レジスタンスの指導者となった男。機械軍はそんな希望をも根絶やしにしてやろうと、ジョン・コナーの母親が、彼を出産する前に抹殺すべく、人型の殺戮マシンを過去の1984年に送り込む。そしてレジスタンス側もその計画を嗅ぎ付け、ジョン・コナーの母:サラ・コナー抹殺を阻止すべく、カイル・リースという一人の若き兵士を84年に送り込むのだが…。
もう今や、これ以上の説明は無用であろう、という程に浸透したこのシリーズ。一応、上記あらすじの先を説明すると、殺戮マシン:ターミネーターから逃れるために行動を共にするサラ・コナーとカイル・リースは、お互いを意識するようになり、遂には逃亡先のモーテルでベッドインを果たす。つまり「近い将来、偉大なるレジスタンスのリーダーの母となる女性を守るためにやってきた兵士は、運命のいたずらか、自分を送り込んだリーダーの父親になる」という、なんともロマンティックな結末が用意されている。
ここで、もう一人、母親が登場する。母:ユリ子、「ターミネーター」公開当時34歳である。発端はユリ子の息子:カズオが、金曜日の夕刊のラテ欄下の、映画のロードショー広告を見たことに始まる。カズオはその父:タケオ(ユリ子の夫、当時36歳)に「お父さん、この映画が面白そう」と申し出るのだった。
翌日、タケオは一本のビデオテープ(ベータ)を借りてくる。一見、普通のビデオテープだが、ラベルのところにコピー用紙を切り抜いた紙が貼ってあり「ターミネーター」のロゴが確認できた。言わずもがな、所謂“ブートレッグ”という代物である。だがカズオ(当時10歳)にそんなことがわかるはずもなく、「見たい」と言った映画を、その翌日にビデオテープとして家に持ち帰ったタケオを羨望の眼差しで見つめると、無邪気にも「お父さんありがとう」と感謝の意を表明した。
タケオとユリ子はその晩、子供に見せても良い映画かどうか、まず二人で毒見をした。いわば家庭的な検閲である。そして、二人のOKが出ると、カズオは小学校の同じクラスの友人を何人か呼んで、家で「ターミネーター」の鑑賞会となった。
だが、母:ユリ子は、友人たちが家に来る前に、カズオを呼んで「映画を観る前に話しておきたいことがあります」と告げる。なんだろう?と不思議に思うカズオだったが、ここは黙って母の前に座り、話をおとなしく聞くことにした。
「この映画には……その……あなたたちにはちょっと刺激的な場面が出てきます。でも、それは、ただイヤラシイだけの場面じゃないの。二人とも、そういう必要があって、そういうことをするんです」
いくら経験不足な10歳の子供とは言え、この言い回しにピンとこないほど鈍感ではない。カズオは即座に察知する。ああ、エロいシーンがあるんだな、と。
10歳。同世代の少年達が観ている映画で「ウフン、アハン」などというシーンがやってくれば、キャーキャーと蜂の巣を突付いたような騒ぎになるのは目に見えている。だが、この時、少年カズオは、今度ばかりは、この「ターミネーター」という映画の「エロいシーン」に関しては、ヤイヤイ騒いだりしてはいけないのだな、ということを、母の真剣な眼差しから感じ取った。
だが、実際にそのシーンが訪れた時の反応を、34歳のカズオはあまり憶えてはいない。ただ、キャーキャー騒いだということも記憶していないので、恐らく皆、振舞われたポテトチップスやジュースの手を止めて、食い入るように画面を見つめていたのではないかと思う。
1984年からおよそ25年の月日が経とうとする2009年。「ターミネーター4」が公開された。ジョン・コナーを演じる俳優は、奇しくもカズオと同い年のクリスチャン・ベイルである。

カズオはユリ子に手を引かれ、12歳の時に「太陽の帝国」を、今は無き横浜ピカデリーで鑑賞し、大きなショックを受けた。「この子、あなたと同い年なのよ」とユリ子が教えてくれたクリスチャン・ベイルは、劇中、第二次大戦中の上海で地獄めぐりの様な日々を送り、年端も行かない少年にしてはあまりにも過酷な運命を強いられ、映画の幕が降りる時にはまるで死んでしまったように目を閉じるのである。「自分と同い年の男の子が、映画とはいえ、エライ目にあっている」とカズオは愕然とする。いわば、「太陽の帝国」はカズオのフェイバリットなトラウマムービーとなり、ベイルはフェイバリットなトラウマ俳優となった。そんな彼がジョン・コナーを演じているのは、何か悪い冗談のように思えてならなかった。一作目公開当時のユリ子は、現在のカズオ、ベイルと同い年の34歳。何だか「T4」の感想云々よりも、色々と感慨深い物を胸に抱きながら、劇場を後にしたカズオなのであった。