ソフト・ロック・カフェー
日本での「ソフトロック」をめぐる歴史
日本では、東芝音楽工業(現在のEMIミュージック・ジャパン)から当時リリースされたハーパース・ビザールやアソシエイションのアルバムに「ソフト・ロックの王者」「ソフト・ロックのチャンピオン」などのキャッチフレーズが付けられていた。当時の担当者の談によると、「自然発生的に流通しており、それを拝借した」という。だが日本でも世界でも、文化的ムーブメントもなく、以降もこの言葉が定着することはなかった。
1980年代なかばから、フリッパーズ・ギターやピチカート・ファイヴの小西康陽などの渋谷系アーティストがこの方面のレコードを取り上げ、その影響下にある作品を発表。また『ソフト・ロック―Soft rock A to Z』を発行した音楽誌「VANDA」がこのジャンルを積極的に取り上げ、再評価、レコードの再発売が進んだ。これによりソフトロックという名称が定着化し、現在に至る。
画像はUS盤ソフトロックのコンピ、そして上記テキストはウィキペディアからの引用です。ご覧の通り、日米(英も?)における「ソフトロック」の定義が全然違う、という話なのですが、画像のジャケットで並ぶアーティスト名からも一目瞭然。どちらかというと、AORかウェストコーストロック、あるいは70年代後期〜80年代以降の産業ロック?という感じのセレクションになっています。多分日本で「アブソルート・ソフトロック・クラシックス」みたいなのを出すとしたら(というかこれまでにも沢山出ているでしょうが)、上記ウィキペディアでも指摘しているように、全然趣向の異なるアーティスト名が並ぶはずです。
英米の「ハードロックと対となる“ソフト”なロック」というザックリとした感覚は何となく分かるんですが、それに対して日本における「ソフトロック」の掘り下げ方の深さと言うか、ある種のイヤラシさというか、それらを伴った編集感覚とでもいいますか、そういうセンスは恐らく世界でも右に出る国はないのでは?と思います。
で、日本におけるソフトロックの定義を、「これこそが本当のソフトロック!」と世界に向けて発信すべく、「メガネ男子」→「乙メン」→「草食系男子」と風向きとしては絶妙な昨今、もう次は、そういう人たち向けの音楽としてのソフトロック、そしてハードロックカフェー(マサ・イトウ発音)に対抗すべく「ソフト・ロック・カフェー」をオープンするなら今!ココ!なのではないでしょうか!!?
- 店内:薄暗い。基本的に昼間にカーテンが開くことはない。
- 店内ストック:「Pet Sounds」はver違いを最低でも10枚は完備。客が「2002年のHDCD」とかリクエストできる。
- 店員の制服:白黒細めのボーダー、接客業だけどサングラスをかけていたりする(日光に弱いから)。
- 店員の体躯:痩せ型(月に一回のボディチェックあり、ポッチャリしてくると「(まかないを食べただけなのに)飲食代未払い」とか難癖をつけられてクビになる)
- 店内の音楽:一日三交代制で店員が選曲。選曲に対して、客がコースターを床にポイッとほうるのがいわゆる「サムズ・ダウン」の行為であり、サムズダウンがあまりにも多かった選曲係の店員はやっぱり「飲食代が未払い」などの理由でクビになったりする。
最後に、個人的に好きなソフトロックの名曲をご紹介して〆とします。
-Mamas&Papas「people like us」