ユー・アー・ノット・アローン「ミルク」

「ミルク」を観ました(@109シネマズMM)。

ファーストカットで印象的に映し出される水飲み場。立形水飲水栓が二つあり、一つは足踏みペダルで冷水が飲めるタンク式のヤツで、もう一つはただの白い蛇口。タンク式の方には「WHITE」という札があり、ただの蛇口の方には「COLOURED」と書いてある。
これは、60年代にミシシッピ州で公民権運動家3人が殺害された事件をモデルにした「ミシシッピー・バーニング」という映画のオープニング。オープンゲイとして初めて市政執行委員となったハーヴェイ・ミルクの最後の八年間を追った伝記映画「ミルク」も、「ミシシッピー〜」と同様に「ハッテン場のガサ入れによって連行されていくゲイの人々」という実際のニュース映像を紡いで「昔はこんなにヒドかった」と幕を上げます。
監督であり、自らもゲイを公言するガス・ヴァン・サントにとって、まさに念願の企画である本作ですが、ミルクという人物を全く知らなかった人でも興味深く鑑賞できるような、親切丁寧な作りになっていると思います。ミルクの生きた時代よりは大分改善されたとはいえ、いまだに根強く残るゲイに対する偏見や差別を啓蒙する映画であることは間違いないですが、もしかすると(冒頭のニュース映像でもあるように)「公共の場で踊ることも手を握ることも禁止されていた時代に、拳を揚げるだけでなく、思慮深く立ち上がった一人の男がいた」という事実を伝える、これからの時代を生きる次世代の若きゲイに対する教示的映画の要素の方が大きいのかも知れません。
劇中、ミルクに電話をかけてくる一人の少年。ゲイであることを両親に打ち明けると「お前は病気だ」と決め付けられ、病院に入れられてしまうことになり、一体僕はどうすれば良いのだろう?と嘆きの抗議を電話口にぶつける少年に対し「どこでもいい。NYでもLAでも、大都市に逃げるんだ」と促すミルク。「それができないのです」と少年。カメラは少年がある状態にあることを象徴的に映し出します。この少年の深い絶望と、後に提示される希望とが、ハーヴェイ・ミルクという人物の功績を、より一層鮮やかに彩ります。
政治家としての益々の活躍を望まれ、まさにこれからという時に、ミルクはある人物に射殺されてしまうのですが、それが差別や偏見にまみれたものではなく、極めてプライベートな理由(犯人がクローゼットであった、という説もあるんだとか)であったことを印象的に描いている辺りも、コロンヴァイン高校をあんな風に描いたヴァン・サントらしい作りと言えるでしょう。
でも、実を言うとこの作品の一番の功績は、ジェームズ・フランコやディエゴ・ルナといった「イイ男」たちとの関係が、決して「ウホッ」という感じにはならず、普通のヘテロ間の恋愛映画のようにサラッと描いて見せたこと(しかもそこは主軸ではない)なのではないかなぁ、と思ったりしました。

ミルクが「カストロ通りの市長」なら、この人はいわば「ファーストレディ」。


Blood Sugar Sex Magik

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ガス・ヴァン・サントと言うと、個人的には映画監督というより、このアルバムの中ジャケでメンバーのカッコ良い写真を撮っている人、という印象が強いです(高2の衝撃)。