デトロイト物語「グラン・トリノ」
「グラン・トリノ」を観ました(@TOHOシネマズ横浜)。
タイトルロールの後、すぐさま描かれる「妻の葬式のシーン→息子夫婦&その子どもたちとの不和」という辺りを観て、もしかしたらこれは、イーストウッドにとっての「東京物語」なのではないか?と思いました。
「東京物語」の終盤にあった妻との別離で「グラン・トリノ」は幕を開け、血の繋がりのないモン族の隣人たちを、最初こそ偏見に凝り固まってた目で見ていた主人公の老人:ウォルトは、彼らとの交流を深めていく過程で「実の家族と接するより気が楽だ」というようなことを呟きます。これは笠智衆が、亡き息子の嫁である原節子に対して「(実の子どもたちより)あんたが一番わしらによくしてくれた」という構図と符合します。
ただ、ウォルト・コワルスキーという老人は、子どもたちの家々をたらい回しにされ、挙句に熱海の温泉地に追いやられても決して怒ることはない寛容さとは対極にあるような頑固爺さんなので、子どもたちが老人ホームへの入居を促したところでそれは逆効果で、自分の「プライベート・プロパティ」にしがみつき、ライフル片手にチンピラたちをド突きまわしたりします。「男が、男の仕事(肉体労働)をせず、車もなく、女の子のひとつもデートに誘えないでドウする??!」と、マッチョな美学を説くのも、まさにマッチョ界最後の良心とでもいうべきイーストウッド流。若者からオールドスクールでオールドファッションウェイと揶揄されるも、「それが俺だから大いに結構!」と自虐的に鼻で笑い飛ばします。
「あんたら(モン族)が一番よくしてくれた」ことに対して、自分が出来ること、恩を返せることとは、一体何なのか?それが「贖罪」や「自己犠牲」といった言葉が脳裏をよぎる、あのラストとなるわけですが、各所でも指摘されている通り、自らを「○ー○○」に重ね合わせている辺りも、イーストウッドという人から溢れ出る並々ならぬ自信というか、映画人(俳優)としての本当の意味でのケジメ/幕引きといったものを感じさせます。
映画で何度か繰り返される、ポーチでビールを飲みながら、愛犬を従え、愛車グラン・トリノを眺めるそのカットに、私の脳内ではウォルトのこんな台詞が自然と被さるのでした。
「一人になると、急に日がなごうなりますわい」