デ・パルマの失われし10年 〜リダクテッド〜

「リダクテッド 真実の価値」を観ました(@シアターN)。

00年代に入ってからのブライアン・デ・パルマといえば「ミッション・トゥ・マーズ(00)」「ファム・ファタール(02)」「ブラックダリア(06)」という、何ともアレレなフィルモグラフィーになっていますが、おそらくそのアレレな00年代を締めくくるであろう作品がこの「リダクテッド」(と思ったらエエっ!こんな企画が進行してたの?!)。なんというか、良くも悪くもデ・パルマのアレレな00年代を締めくくる怪作でありました。
お話はといえば「イラク:サマラで06年に起こった米兵による14歳少女レイプおよび彼女を含む家族四人惨殺事件」に着想を得て、モキュメンタリータッチ(というか、レイプ殺人首謀犯の米兵達が記録したビデオ、という体でお話は進む)で描いた作品で、このスタイルはどちらかというと「ゴージャスな火サス」スタイルが確立される前の、デ・ニーロ主演の「ブルー・マンハッタンシリーズ(Greetings,Hi mam!)」っぽい感じと言っても良いでしょう。つまりは、あまりにもアレレな00年代を締めくくるにあたり、原点回帰的な作風に仕上げている、というのが何だか興味深いです。
と、書きましたが、こうしたビデオ、報道番組(米側、イラク側)、動画投稿/ストリーミングサイト、など、多種多様なメディアを劇映画に取り込もうとすると、ドラマとしてはそこだけ浮いてしまう嫌いがあるため、フィクショナルな視点を省き、現存する/した(と仮定する)素材のみでの構成にしているのでしょう。実際に暴行に至るシーンを暗視カメラのみで構成する底意地の悪さ(米兵達がまるで悪魔の様に写る)にはちょっとシビレました。これはこれで非常にクレバーな手法だと思いますが、今年日本でも公開されたポール・ハギスの「告発のとき」では、同じようなテーマを扱いながら、古典的ともいえる謎解きミステリー/人間ドラマのストーリーラインでやっていたことを、忘れてはならないでしょう。
つまり(もうこうなってくると個人的な好みの問題になってしまうのですが)、「告発のとき」を観てからだと、「リダクテッド」には、映画のシメが若干投げっ放しのような印象を受けない事も無いです。もしかしたら「そういうドラマ的なアプローチは『カジュアリティーズ』で既にやってるしね」というのがデ・パルマの弁なのかもしれません。冒頭での検問所のエピソード(フランスのテレビ番組という体)で、「イラク人にとっての日常/配備される米兵にとっての、その日常の中に反米テロリストが潜んでいるかも知れない非日常」というテーマが、異様な緊張感で示唆されていて面白かったのですが、こうした象徴的なエピソードを持ってきて結んでも良かったのではないかなぁ…という気がしました。
その検問所のエピソードで延々と流れるのが、ヘンデルの「サラバンド」なのですが、これはどう考えてもキューブリックの「バリー・リンドン」に対する何某かの想いだよなぁ、とも思いました。