デイヴィッド・ベニオフ「99999(ナインズ)」

「シャングリラ屯田兵」id:cinemacさんのこの感想を読んでからずっと気になっていたデイヴィッド・ベニオフの短編集「ナインズ」を読みました。

ベニオフは、(程度の差こそあれ)誰もが経験するような「人生の栄光の一瞬の輝き」を切り取ってみせるのがとても上手い。それでいて「そういう場面が果てしなく続く訳ではない」という諦念でもって一歩引いた視線であることも忘れない、絶妙なバランス感覚も持ち合わせています。

cinemacさんの上記の引用で十分に語りきっているような気もしますが、自分でも感想を少々。表題作「ナインズ」は、レコード会社A&Rの男が主人公のお話。作家が描くロックバンド物って、その世界観が異様に古臭かったり(あるいは妄想じみていて)して、辟易することがよくあるのですが、

そのヴォーカルには何かがあった。美人ではない。音程も完璧とは言えない。それでも何かがあった。そんな彼女を見て、タバシュニクは思った。なんとなんと、こいつには叫ぶことができる。時々、彼は客たちの若い顔を観察した。若い連中が彼女を見る眼つき---うしろにいる連中などはよく見ようと飛び跳ねている---それが彼の直感の正しさを裏づけていた。この娘は割られるのを待っている豚の貯金箱だ。

こんな導入部で、「ああ、ちゃんとライヴハウスとか、そういうシーンにいたことがある人なんだな」ということがわかる。おまけに続く一文で

〜(略)彼女はボトル・グリーンのメタリック・メッシュのドレスでステージを動きまわっている。かなり短いミニドレスで、下着が見えないかと、タバシュニクは中腰になって首を傾げた。見えなかった。

もうこんなオモシロな落とし方をするので虜になってしまい、「ああ、多分他も大丈夫だろ!」という気になりました。
案の定、次の「悪魔がオレホヴォにやってくる」ではチェチェン紛争での三人の少年兵のやりとりを、「獣化妄想」ではNYナンバー1の男娼の青年と内気な青年の交流を、「幸せの素足の少女」では上級生からキャディラック・エルドラドを拝借して町を疾走するアメフト部の高校生を、「幸運の排泄物」ではゲイのカップルの出会いから別れを、などなど、一見奇をてらったかのように見える設定を「やーねー!」とはならずに瑞々しく描き、そしてどのエピソードも投げっぱなしは無しでちゃんと落としてみせる。これは中々の才能なんではネエのか?と思いました。
で!でですよ!このデイヴィッド・ベニオフの経歴なのですが、新潮文庫のプロフィールを読むと…
1970年、ニューヨーク生まれ。ダートマス大学を卒業後、(クラブの)用心棒、教員を経て、ダブリン大学大学院でアイルランド文学を専攻。以降、米国地方局のDJなどを務め、文学誌<ゾエトロープ>に短編を発表。
wikipedeiaによると…
彼の父親はゴールドマンサックスの社長を務めた。
でもって…

嫁がアマンダ・ピートで、おまけにこんなルックスですよ!ギャグ漫画の売れっ子作家かよ!物凄く・やーねーーー!!!

99999(ナインズ) (新潮文庫)

99999(ナインズ) (新潮文庫)

面白かったんでデビュー作「25時」も読みますよ…