セルロイド・クローゼットにはカーテンのドレス 〜魔法にかけられて〜

魔法にかけられてを観ました(@109シネマズMM)。

一言で説明するなら「ディズニー映画のヒロインが現実世界にやってきてさぁ大変!」というお話。
「象徴的に描かれる狂った過剰なテンションが、奇しくもディズニー映画の狂気を裏打してしまった作品となっている」との噂を聞きつけ、鑑賞してきました。ところが、上記以外であることに気付いてしまい、もう途中からはそれが気になって気になって仕方ありませんでした。それはこの作品のそこかしこに見受けられる「ゲイ映画の暗喩」です。以下、作品の内容に触れますし、推測の域を出ない勝手な思い込みなので、適当に読み飛ばして頂けるとありがたいです。
まず、この世界の構造を説明するとして、ファンタジー/アニメの世界、主人公のお妃候補:ジゼル(エイミー・アダムス)が暮らし、動物や虫や草木も喋るような何でもありの世界が仮に「ゲイの世界」とすると、対する現実世界、ジゼルをひょんなことから助ける弁護士:ロバート(パトリック・デンプシー)が暮らす世界は異性愛が一般的である(とされる)「ヘテロの世界」と位置づけることが可能です。
映画の前半はそれこそ、ファンタジーの世界の住人が現実世界でやりたい放題して周囲からドン引きされる、という解り易いオモシロ展開が用意されているのですが、本当に面白くなってくるのが「ファンタジーの世界の住人に自我が目覚める」後半。ここで描かれるジゼルの心境、それは「無自覚であった自分がゲイであること(ファンタジーの世界の住人であること)を認めると同時に、ヘテロの世界の人(現実世界の人)に恋をしてしまっていた」というのっぴきならない状態です(ファンタジーの世界では凛々しく描かれていた王子の薄っぺらい描写に拍車が掛かるのもこの後半)。
ヘテロの人に恋をしてしまった、でも彼には既にステキなステディがいる!(ライム!)
絶対的な壁を見せ付けられたこの切ない状況下でのボールルームダンス(ロバートとその彼女が貴族風に着飾るのとは対照的に、ジゼルは巻き髪をストレートにし現実世界で流行のファッションで現れる)のシーンは、同じような経験をしたことがるゲイの人なら、涙なしには見ることが出来ないシーンなのではないでしょうか。

その他、セントラルパークでの多幸感溢れるダンスシークエンスで、ジゼルを支えるのはツナギにヘルメットの屈強な男たちだったりとか(↑見てこの色彩感覚!)

スーザン・サランドン演じる継母のメイクや衣装が、どう見てもドラァグの人にしか見えないのとか

当初、監督として予定されていたのがロブ・マーシャルだったりとか、もうそうした事実を並べれば並べるほど、そういう筋の映画である!という思い、いや想いが、より強固になっていきます。
と、色々と妄言を述べましたが、この作品が優れているのは、そういう視点を取っ払って「ごく普通のラブコメディ」として鑑賞しても充分成立している(というかこっちが正解か)ということだと思います。齢33にしてこの完全なる負け戦を見事に戦い抜いたエイミー・アダムス、ジェームズ・マースデンの激安王子とか、役(アニメ絵)を宛書されたかのようなティモシー・スポールなど、役者もそれぞれ素晴らしかったです。

アメージング・ハイウェイ60 [DVD]

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ボブ・ゲイル(「BTTF」を考えついた人!)監督脚本、ジェームズ・マースデン主演のコチラもオススメです。