「恋空くん」


「ESGとスリッツ、どっちが好き?」
店内の音量に負けじと、タツヤがわたしの耳元で、自分の口を手で覆いながらそう切り出した。まだ付き合う前の事だ。タツヤとは知り合いのイベントで出合った。
ESGとスリッツなんて有名どころを、しかもガールズバンドでNWってだけじゃん、と思いつつ、ESGも好きだったけど「TYPICAL GIRLS」というPVのアリ・アップのテキトーな踊りに完膚なきまでにヤられてしまった10代のアテクシ的には、そうしたエピソードを語りつつ「というわけでスリッツの方が好き」と、これまた自分の口を手で覆いながらタツヤの耳元に返すと、ちょっと驚いたようなリアクションをしてわたしの両手を握ってきた。そしてやはりわたしの耳元で、大声でこう囁く。「俺も!」
それからそのクラブを二人で抜け出して、自販機で飲み物を買って、近くの公園で始発が出るまで音楽や映画の話なんかをした。何を話したのかはよく覚えていないけど何となく漠然と「あ、大丈夫だ」と思った。
それから数回デートをして、わたしの中で「大丈夫だ」が確信に変わると、向こうの方から告白された。あれからもう二年が経とうとしている。
わたしたちは驚くほど喧嘩や争いごとなどがなかったが、最近始めてちょっとモメたことがあった。キッカケはこれまたスリッツだった。なんとエイドリアン・シャーウッドと一緒に来日をするというのだ。はっきり言ってわたしは、そっち(シャーウッド方面)にはほとんど興味がなかったが、それはタツヤも同じだった。意見は一致していた。「スリッツは見たいね」
実家暮らしのタツヤは、週末にわたしの家に泊まりに来る。そうした生活が付き合いだして間もない頃から続いていた。ある土曜日の昼下がり、彼はこう切り出した。「あ、スリッツ取っておいたよ」
はぁ〜??!とわたしは思った。確かに、ここのところしつこくタツヤから「ねースリッツいこうよスリッツ。もう見れないかもよ?取るよ?チケット取るよイイでしょ?取るよ?」
わたしだってもちろん見たい。生のアリ・アップを見たい。もう40過ぎのオバちゃんだけど、それはきっとカッコ良いに決まっている。だがわたしの懐具合は、ピーピーと悲鳴を上げていたのだ。
友人の結婚式が続けて二件、妹の誕生日プレゼントに買ってあげた腕時計、プリンタが壊れて急に買い換える。出費がかさんでもうペンペン草も生えない状況に「スリッツ行こう」と言われて困るのだ。
タツヤは実家暮らしなので、諸々の生活費のことなど気にしなくてもよい。そんな理由で断ると「リツコとじゃないと意味がない、一緒に行かないと意味がないでしょ。イイよ、チケット代は俺が出しておくから」ときた。新卒でペット雑誌の編集の仕事に就いて二年、通常の業務に加えて「なんでウチのワンちゃんの方が絶対にカワイイのに、なんであんなブサイクが載っているのか」的なキチガイめいた電話のクレーム対応までさせられてヘトヘトになった挙句、給料は悲しいくらいに少ない。タツヤはSEで残業代もタンマリ付くし、実家だし、割に裕福だ。もちろん、わたしだってスリッツは見たい。でも、カツカツの生活を送りながら、週末に二人で過ごす間ぐらいはそういう面を見せまいとしてきたわたしにとって、人の了解も得ずに「チケット取ったよ」とあっけらかんと言い放つタツヤに無性に腹が立った。こういう時、女子の取る行動はただひとつ。トイレに篭城である。
10分が過ぎた。20分が過ぎた。案の定、タツヤがトイレのドアをノックする。「もしもし、大丈夫?」当初はこのタイミングでウソ泣きをするつもりだったのだが、タツヤの声を聞いたら涙が溢れ出てしまった。なんだろうこの感情は?無神経な自分の彼氏に対して?自分の情けなさに対して?恐らくはそうした要員の全てが、タツヤがドアをノックして声をかける、というキッカケで決壊してしまったみたいだった。まさか泣いているとは思っていなかったタツヤはビックリしていたが「どうしたのどうしたの」と慌てながらもわたしをなだめ、わたしは想いのたけをブチまけた。タツヤは「ゴメン、ウソ、実はまだチケット取ってない」と言った。その場を繕う言葉ではなく、タツヤは本当にまだチケットを取っていなかった。
それからわたしは、駅前のスーパーへ夕飯の買出しに出た。スーパーを一回りしてレジへ向かい、列で待っているとメールの着信があった。
Eメール着信:恋空タツヤ
件名:さっきは
本文:ごめんなさい。
タツヤの苗字は「古井空」だが、携帯に登録する時に間違って入力してしまい、でもその「恋空」というあまりのインパクトにそのまま登録してしまった。恋空くん。小学生なら確実にイジメられる名前だ。わたしは「晩ご飯は秋刀魚だよ」というメールを返して、すぐにタツヤの元に戻った。
晩ご飯を食べ終え、お茶を飲んでいるとタツヤは「あ、リツコは誕生日何が欲しいの?」と切り出した。欲しい物。これといって特に何も浮かばなかった。「・・・本とか」「本?」「そう、本」「本って何の本?」
「はてなブックマークの本欲しい!」 *1





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