手付かずのCHAOS 〜ダーウィンの悪夢〜

「ダーウィンの悪夢」を観ました(@チネチッタ)。
タンザニアヴィクトリア湖ここで獲れるナイルパーチが一大産業になっている漁師町ムワンザを巡る、負のスパイラルを描いたドキュメンタリー映画です。話には聞いていたのですが、実際にスクリーンで観ると「うわー…」と声無き声を何度も上げてしまいました。無秩序が盛り沢山、手付かずの混沌がエヴリウェア。もう何から手を付けたら良いか全然わかりません。回覧板とゴミ袋を持ってゴミ集積所に行ったら、間違えて回覧板を捨ててくるぐらい混乱しています。
まず大まかなな流れで言うと、どっかのバカがナイルパーチをヴィクトリア湖に放流→他の魚を食い尽くして大繁殖→ナイルパーチの一大産業が・・・と、ここまでは大体知っていたのですが、更に、ムワンザの空港は人手が足りなくて管理もずさんで(着陸許可などは管制塔から手で懐中電灯みたいなのを振る!)着陸に失敗した朽ちた旅客機がゴロゴロしてるし、管理体制が万全でないので武器密輸取引の中継地点になっている、という流れにまで発展しています。
一日最低でも500トンは収穫されるというナイルパーチを運べるだけのカーゴがムワンザに来る時は武器を搭載し、ムワンザでそれらを吐き出し空にして、ナイルパーチをズッシリ積んでヨーロッパなどに飛び立っていくのではないか?そんな仮説を元に、監督であるフーベルト・ザウパーは関係者に迫っていきます。「ムワンザに何を積んで来たの?」と執拗に迫り、パイロットの口からそれを引き出そうとします。
終盤のピークは、やはりナイルパーチの“あら”の捨て場の映像でしょう。一大産業として成り立ってはいますが、ナイルパーチは現地の人々にとって高価過ぎるので、彼らは切り身にした時に残った“あら”を食べるのです。このあら捨て場が中々ハーコーで、黙々とあらを干し続ける女性の足元には無数のウジが沸いています。
以下、監督の言葉を抜粋します。


〜同じ内容の映画をシエラレオネでも作ることができる。魚をダイヤに変えるだけだ。ホンジュラスならバナナに、リビア、ナイジェリア、アンゴラだったら原油にすればいい。ほとんどの人は現代のこの破壊的なメカニズムについて知っているだろう。しかし、それを完全には描き出すことができないでいる。それは、知っていても本当には信じることができないからだ。
最高の資源が見つかった場所の全てで、地元の人間が餓死し、その息子たちは兵士になり、娘たちは召使や売春婦をしているなんて、信じがたいことだ。


これほどの混沌に対する解決策や答えなど、そう簡単に出る訳がありません。それにはある種のファンタジーの力が必要とされるでしょう。本作の監督フーベルト・ザウパーか、あるいは他の監督か。「対テロ戦以降」に対する返答がトゥモロー・ワールドだったように、90年代以降の荒れ果てたアフリカを、ドキュメントではなく劇映画という形で、そろそろ誰かが“ファンタジーの力を借りてでも”一つの答えを出すべきなのかも知れません。