息子さん、クラックやってますよ! 〜「ブロック・パーティ」〜
「ブロック・パーティ」を観ました(@チネチッタ川崎)。
アメリカで著名なコメディアン、デイヴ・シャペルが「自分を応援してくれた地元の人々に恩返し」とばかりに、極秘にフリーコンサートを企画。そのコンサートが行われるまでを、出演ミュージシャンのリハーサル風景などを交え、ミシェル・ゴンドリーが綴るライヴ・ドキュメント映画です。
例えば小学校でも中学校でも高校でも、学年に一人ぐらいはメチャクチャ面白い奴がいて、でもそういう奴って「どこに属す」ってわけでもなく、スポーツ部連中だろうが、オタクだろうが、ヤンキーだろうが、どの派閥にも別け隔てなく付き合っていたと思うのですが、この本作のホストであるデイヴ・シャペルにはそういったカリスマ性を見た気がしました。
地元オハイオの、いわゆる普通の人々に気さくに話しかけ、気まぐれにチケットを振舞い、白人の老婦人に「ヒップホップには馴染みがない?だったら尚更コンサートに来てよ!」と有無を言わさずチケットを握らせてしまう。そんな観ているだけでニヤニヤしてしまうようなやりとりを、ミシェル・ゴンドリーが「(被写体として)普通の人々ほど絵になる人々はいない」とばかりに、(得意なトリッキーな手法を封じて)愛情溢れる視線でシンプルに切取ります。その様はまるで「1億人の大質問!?笑ってこらえて!」のようでもあります。
上記の「メチャクチャ面白い奴」という例え、それは出演している多くのラッパーたちにも当てはまるような気がします。彼らのユーモアはおそらく、目を背けたくなるような現実だったり、切実な訴えだったり、そうした要素の裏返しです。
「俺はラップが本分 神の姿は論じないし 人を改宗させもしない」
「ハスラー 殺し屋 売人 ストリッパー 福祉の犠牲者 皆、地獄に生きてる 神よ 俺の声を聞いてくれ」
「過ちを正せるとは思わない 神と話したいが久し振りで怖いのさ」
JESUS WALKS KANYE WEST
レベル・ミュージックとしての強固な主張を、ビートとライムに落とし込み、エンターテイメントとして放出する。その「顔で笑って心で泣いて」的な浪花節が、ソウル/ファンク/R&B/ヒップホップといったジャンルには顕著に窺うことができるので、自分にとってこの「ブロック・パーティー」という映画は正に至福の時間でした。「ああ、このまま2時間でも3時間でも続けてくれ!」と願うものの、わずか100分足らずで上映は終了。ほぼ完璧に近いこの映画の唯一の難点は「短すぎる」ということでした。
以下のアルバムを一枚でも持っている人、「名前を知っているぐらいだけど…」という人、そういう人たちにこそ迷わずこの映画をお薦めします。